大きな石材は重機で引き上げることも
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 川の中から同館の破片が見つかった一因は、建物が頑丈にできていたからだという。

「設計はチェコ人で、手抜きがなく堅牢に造られていた。だから爆心地にあったのに残ったのでしょう」

 同会では'13年、同館の石材などの採取を始め、100キロにもなる破片を引き上げた。'15年にも、バルコニーの一部を発掘。'17年には、5階のバルコニーの一部と窓枠とみられる石片を見つけ、それぞれ引き上げた。

 今年の7月13日、石片の引き上げ作業に再挑戦した。重機を使ったのは4回目だ。

「山岡さんには、活動が形になったら挨拶へ行こうと思っていたのですが、亡くなってしまいました。それだけが心残りです。私は、明日も明後日も1年後も、川に入って瓦を拾い続けます。やめたいと思ったことはありません」

 引き上げられた被爆瓦などは広島大医学資料館ほかで展示されている。

引き上げ作業をするときは手を切らないよう、革の手袋をして川底をさらう

 また、嘉陽さんは瀬戸内海に浮かぶ似島(広島市)で被爆者の遺骨も見つけている。

 似島では、原爆投下後、島東部にあった陸軍第二検疫所が野戦病院となった。20日間で負傷者1万人もの被爆者が運び込まれたと言われ、多くが亡くなり埋葬された。

 '14年に遺骨収集をした際、島民から「まだほかにも埋められたままの人がいる」と聞き、資金を集めて今年4月、似島へ向かった。すると5日間で約1~10センチの骨片100個を発見。警察は、「被爆者の骨」と結論づけたという。前歯は10歳の子どものもので、足首の骨は150センチ以下の人物とわかった。

「出身の沖縄でも遺骨収集をしたいのですが、漆にかぶれる体質で、山に行くことができない。県外から来て遺骨を探すボランティアを、ありがたいなと思っていました。私も広島でならできます」

 次世代に伝えるための活動は今後も続けられていく。