出撃すれば脱出は不可能、訓練も命がけ

 そこで待っていたのは人間魚雷「回天」だった。

 回天とは魚雷を改造した1人乗りの潜水艦で搭乗員もろとも敵の艦船に体当たりする特攻兵器。出撃すれば脱出は不可能、訓練も命がけだった。

 回天を前に隊長は「これが貴様らの棺桶だ」と言った。

「私たちは機械の一部だった」

 さまざまな葛藤を抱えていた岩井さんが、ただ1度、学徒の少尉たちが集まる食堂で「大和魂で戦争に勝てるわけがない」とこぼしたことがあった。すると戦友の1人が「そんな話をするな」と一蹴、不穏な空気に包まれた。

 まずいな、と思ったというが、後日2人きりになったときに「実は俺も思っていた」と告げられた。

「私と同じ考えの人は少なくなかったと思います。ただそれは誰にも言えなかった」

夏用軍服の海軍の将校。岩井さんは中央列右から3番目
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 訓練を続けていた’45年1月ごろ結核と診断され、療養のため回天隊からはずされた。回復後、配属されたのは人間機雷「伏龍」部隊だった。

 伏龍とは潜水服を着て機雷のついた棒を持ち、海岸線近くの海に潜る。敵の上陸用舟艇がやってきたら下から機雷のついた棒を突き上げ、船もろとも爆死するというものだ。

「海中ではまっすぐ立っていられないし、視界も悪く上を通る艦だって見えない。こんなのダメだな、とみんな内心は思っていてもまじめに訓練をしていました」

 伏龍は訓練中の事故が相次ぎ、岩井さんは2度も生死の境をさまよった。そして、出撃することなく終戦を迎えた。

「死ぬはずだったのに生きながらえたことは不思議な感覚だった」と明かす。助かったとも、悔しいとも、うれしいとも何もなく、終戦の日の記憶はほとんど残っていない。

 戦死した回天の搭乗員は事故死を含めて100人以上、戦死者の平均年齢は21歳。伏龍は実戦こそなかったが多くの隊員が訓練中に事故死した。

 岩井さんは声を荒らげる。

「死を宣告されていた私たちでさえ、世の中の雰囲気にセーブされ戦争に反対はできなかった。今は何でも話せる時代。世の中を冷静に見て、言わなきゃいけないことはちゃんと言わなきゃいけない」

 悲劇を繰り返さないため、岩井さんは言葉を止めない。