息子の中村児太郎
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 出演後に福助は松竹を通じ、

《この5年近く、毎日のように芝居の夢を見ました。目覚めて涙した事もありましたが、今日の私があるのも諸先輩方、関係各位、とりわけファンの皆様のおかげ。まだ万全ではないですが、見守っていただけたら幸いです》

 とのコメントを発表した。

愛人の妊娠、愛人の自殺

「とにかく、復帰舞台を見た奥さまであるA子さんは涙が止まらなかったようです。この5年間、福助さんは本当につらいリハビリを重ねてこられました。

 発病したころは動くことや話すことも満足にできず“役者を辞める”と弱気なことを口にすることもあったそうです。そんな彼をそばで励まし続けたのがA子さんだったんです」(梨園関係者)

 だが、福助といえば、これまで結婚後に報じられた艶聞は数知れず。しかも、'97年には歌舞伎座に向かう途中に飲酒運転で事故を起こすという、今話題の吉澤ひとみより約20年も前に同じような事件をやらかしている。

「それでもA子さんは、“私が結婚したのは福助ではなく、中村栄一(福助の本名)です。福助がどんなに外でモテようと、ファンのものですからかまいません”と公言し、役者としての彼を支えてきたのです。

 ただ、'11年に愛人が妊娠、流産したことが明らかになり、弁護士を立てて話し合うなど泥沼化。また'13年には別の愛人が自殺していたことも報じられると、さすがのA子さんも夫への信頼が揺らいでしまったそうです。歌右衛門襲名を前に、まさに仮面夫婦状態だったそうですよ」(松竹関係者)

 だが、襲名発表の2か月後に発病。そこから長く苦しい療養生活が始まった。

「そんな夫婦関係でしたから、妻としてはすごく複雑な思いだったはずです。ですが、力が入らず寝たきりのような状態が続き、当然、愛人はみんな去ってしまった。唯一、この人を支えるのは自分しかいないと思ったそうです。

 それからのA子さんは、本当に献身的に夫に尽くしていました。もちろん、福助さん自身がいちばん、しんどかったと思いますが、食事からトイレ、入浴まで生活のすべてをサポートした奥さまだって、本当につらかったと思いますよ」(成駒屋に近い人)

ひと足先に弟は八代目中村芝翫(右から2番目)を襲名。妻の三田寛子は3人の息子をもうけた

 まさに二人三脚で立った復帰舞台。同じ日に新橋演舞場で初日を迎えていた弟の中村芝翫は、その苦労を間近に見てきたからか、

「兄貴の舞台が割れんばかりの拍手だったと知って、また涙が止まんなくて……」

 と、大勢のマスコミを前に、はばかることなく涙した。