剃った頭で息子と母に再会

 修行僧の1日は、早朝(といっても深夜2時)から始まる。1日三座(一座4時間)を拝み、合間に掃除と食事。テレビも私語も、むろん携帯も禁止で、9時には就寝する。

「下界では合理的に手際よく進めることが美徳ですが、修行中は仏さまの教えが絶対なので、話し方から歩き方まで、徹底的に直されました」

 中でも、苦しかったのは煩悩との闘い。

 しばらくは、帰ることばかり考えていたと振り返る。

「もう、息子たちのことが心配で、心配で。出家なんてするんじゃなかったと、何度後悔したことか。でも、そうだなあ、2~3か月が過ぎたころから、自分の気持ちが手に取るように見えてきたんです。私は心配の種を自分で作って、修行から逃げ出す口実にしてるんだって。心の入れ替えができたんですね

 それからは、苦しいだけの日々が、明らかに変わった。

「たとえ、所作で寮監から注意されても、ムッとならず、素直に聞けるようになりました。自分自身の心のざわつきに気づき、それを柳のように受け流す術(すべ)が身に付いたんです。今考えれば、お山の中ではあらゆるものからしっかり守られていて、ラクなものでした。下界で生きていくほうが、ずっと修行ですよ」

 徳を積み、悟りを開くとは、こういう境地に達することなのだろう。

 修行の仕上げともいえる護摩(ごま)行では、死生観が明確になったという。

「何千回と真言を唱えながら、護摩木を燃やすと、火の粒が集まり、炎となり、やがて燃え尽き、天へと散っていく。私たちの人生そのものだと感じました。天に散った粒は、再び集まり、新しい命となる。この死生観が、私の考え方の基盤になっています」

 夫を亡くした悲しみも、「新しい命を得る」と悟ったことで、癒えていったという。

散策中「夫は木の根も好きでした」と思いを馳せた
散策中「夫は木の根も好きでした」と思いを馳せた
看護師で僧侶でもある、玉置妙憂さんの原点(全10枚)

 1年が過ぎ、迎えた修了式には、次男と母親が列席した。

「久しぶりに会った息子は、照れたように私の坊主頭をなでていましたね。“寂しかった?”って聞いたら、“ぜんぜん!”なんて強がって(笑)」

 母・公江さんが話す。

「それはおごそかな素晴らしい式でした。お坊さんになった娘は、ひと皮むけたというか。何事にも動じず、自分を持って、すっきりと立っている。そんな印象でしたね」

 以来、妙憂さんは看護師として働きながら、僧侶として多くの人と向き合っている。

「人には持って生まれた役割があります。もしかして、主人の最後の役割は、私を僧侶にすることだったのかもしれません。同じように、私も、私に与えられた役割を、まっとうしようと思っています」