世界が認めたセンスとプロの技

独立後、サロンを開く。美容以外にも自らが編集長となり、カラー新聞を発行。横尾忠則さんが表紙を担当するなどトップクリエイターが参加した

 日本にも新進気鋭のデザイナーが台頭し、ファッションショーが盛んに行われるようになった時代。サチコさんは、多くのクリエイターから支持され、多くの現場で刺激し合い、新しいスタイルを提案していった。

ファッションショーは特に過酷だったけど、面白かった。デザイナーとしては、自分が世に出る真剣勝負だから。ぶつかりあいもあるし、ギリギリのところでみんな仕事をしなきゃいけない。私も生意気だったから、デザイナーと大ゲンカをしたこともあるけど結果がよければ大成功(笑)。でも、あのころはみんな勢いがあって楽しかった。特に三宅一生さんとの仕事は面白かったなぁ。彼はなかなか満足しなくて、しょっちゅうスイッチ(変更)するから、私たち周りのスタッフは大変なんだけど。でも、できあがったものは必ずよくなって、新しいクリエイションが出てくる」

「いちばん大変な仕事だった」という『三宅一生と12人の女たち』。ショーの本番2日、撮影で1日。「ひとりで全部担当したから、あまりの大変さに、終わったらボーッとして荷物をそのまま置いて帰っちゃった(笑)」

 表は華やかに見えるショーだが、そのバックヤードはとてつもなく苛酷だという。リハーサルから本番まで2時間あるかないか。その間に、モデル全員のヘアメイクを含む準備を完成させなければならない。スケジュールがずれこむことはしょっちゅうで、本番は秒読みの世界だったが、サチコさんは独特のスタイルを手際よく作っていった。

 16歳でモデルデビューした長谷川美恵子さん(60)は、当時の様子をこう語る。

「私がセーラー服姿で現場に行っていたときにサチコ先生に初めてお会いして。最初は正直言って、“業界の怖いおばさん”という印象でした(笑)。でも、何もできない私を見つけてメイクをし、手ほどきをしてくださったんです。“あんた下手だねぇ”とか言葉はキツいけど、本当は面倒見がよくて優しい方なんですよ。

 モデルってわがままな人種で、ヘアスタイルが気に入らないと不機嫌になる人も多いんですけど。サチコ先生は、それぞれの個性に合わせて気持ちのいいヘアスタイルにしてくれるから、とにかく安心なんです。サチコ先生が作るスタイルは、早くてきれいで崩れない。フレンチロールが特にお得意だったんですけど、最小限のピンでさっと作って、それで決まるんです。逆毛立ても凄かったなぁ。もちがよすぎて、ショーが終わって家に帰って髪を洗うのが大変なぐらいでした

 サチコさんは準備も周到だった。髪の滑りが違うからと、髪型によって前日のシャンプーの仕方までモデルに指示出しをしていたという。

 木村イナミさん(現在「ヘルシィラボ」代表・ヘアメイクアップアーティスト)は、サチコさんが手がけたCMを見て「ヘアメイクにこんな可能性があるのか」と衝撃を受けたひとり。サチコさんの会社に入社し、ショーなど多くのシーンでアシスタントを務めた。

弟子として、いちばん厳しく言われたのは、鏡前はお客さんが買ってくださった場所なんだから、いつもきれいにしておけ、ということでした。先生はどんなに時間がタイトでも、納得いくスタイルができるまではランウェイに出さないというのが信念。ギリギリまでベストバランスを探し続けて、ぴたりと決める。それは見事でした。先生は仕事も真剣だけど、普段から感性豊かに暮らされてるんですよ。すごくおしゃれだし、料理も上手でパーティーでふるまわれることもありました。そうして、仕事のエネルギーを維持されていたんだと思います」

 サチコさんは、大忙しの中、ひとりの女性として恋愛を楽しんでもいたそうだ。

「実はある人と同棲までして、真剣に再婚を考えていました。一緒になれば、相手がものすごく才能のある人なので、どうしても尽くしてしまう。でも、私はまだ自分の力を試したくてね。結婚して相手に尽くすのは、自分らしくないと感じて、やめた。ひとりで川邉サチコらしく生きていく道を選んだのよ」