19歳、ジャングルで自給自足

 島に来ても、アウトサイダーという感覚は変わらなかった。自分と同じ感覚の人間はひとりもいない。父が携わっていた土木の仕事をしようとは思えない。それなら自活するしかない。

「親父は怒っていたよ。男は15歳から働くもんだってね。俺はジャングルの木を切って開拓し、自分で小屋を建てた。電気は自家発電、水を引いて海で魚を釣って自活した」

 1975年には観光客相手に小さなライブハウス兼民宿『RAO(ラオ)』を始めた。客がいない時期はひとりでくまなく島を歩き探索。カヌーで島の周りを巡り、無人島にも渡って地図を作った。

「島には珍しい石や植物がある。365日、毎日、沈む圧倒的な夕日を眺めた。はるかな昔から変わらず、陽は昇り沈んでいる。自然と対峙(たいじ)するひとりの時間は、どんなアートよりも美しいと気がついたんだ」

 宮川さんは23歳のころ、19歳のゆき乃さんと夫婦になった。横浜で生まれ育ち、観光客として小笠原で宮川さんと出会い、結婚した。これまで仕事のサポートもしながらともに歩み続けてきた。

典継23歳、ゆき乃19歳で結婚し、長女・空を出産。後に次女も授かった
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「そのころの島の暮らしはとても不便でした。生活に余裕もなくて大変だったけど、ただひたすら目の前のことをやってきた。若くて純粋だったからできたんでしょうね(笑)。でも、彼が新しいことにチャレンジする姿は見ていて飽きませんでした。きっとあのころ、彼は孤独だったと思うんです。すごくとんがっていたから理解者がなかなかいなかったんだと思います」(ゆき乃さん)

 父島の中心は港のある大村で、扇浦は少し人里離れたところにある。

「1度だけ、親父の仕事を手伝った。当時、扇浦のビーチはチリ地震で打ち上げられた岩石が散乱してひどい状態で、親父と一緒に整地作業を始めた。ただ、どんな目的であっても、国立公園の自然に許可なく手をつけることは許されない。役所とのトラブルが絶えなかった。だけど、親父は聖者のようで尊い人だったよ」

 そのとき、父の典男さんは、宮川さんにこう言った。

「昔の風景を取り戻すぞ。その場所に住んでいる者が住んでいるところを美しくしなければならないんだ」

父と整備した扇浦。美しい姿を取り戻した

 今、宮川さんの中で核となっている「ローカリズム」の本質は、この言葉から始まった。「自然は人間の手が入ることで本来の姿を取り戻す」。そして36年後、この言葉が想像を超える形で結実することになる。