演劇評論家としての顔

 演劇評論家としての衛さんは、妥協を許さなかった。さまざまなアルバイトをしながら、年間250本以上、多いときには420本もの芝居を鑑賞し、評論を執筆。演劇界を向上させるべく、ときには手厳しい批判を書くことも厭(いと)わなかった。

「批判を書くのは大変で、言葉を費やさないといけない。褒めるのは簡単なんですよ。数行でいい。だけど、どこが悪かったのか相手と共有しないと変化に結びつかないじゃないですか」

 妻、柴田英杞(しばた えいこ)さん(59)は、演劇評論家としての衛さんの顔をこう記憶している。

「ダメな芝居のときはカーテンコールの拍手が鳴っている最中でも、着ている黒いコートをマントのように翻し、客席をスッと立って怒って帰るような、おっかない、近寄りがたい人でした(笑)。でも、それくらい情熱にあふれていたんですよね」

 だが演劇評論家として軌道に乗ってきた矢先、突然、試練が訪れる。父親が、続くように母親までもが倒れ、言葉をなくした寝たきりの両親を介護する日々が始まったのだ。

 ひと言で介護といっても、それは決して生半可なものではない。20代後半の身にのしかかった負荷は大きく、半ば心を閉ざしかけたことも。

「母が救急病院に運ばれたとき、2階の病室から下を眺めると、晴れ着を着た家族連れが除夜の鐘を聞きながら初詣に行くために歩いているんですよ。だけど、自分の目の前には亡くなる間際の母がいる。複雑な気持ちでした。いま自分に起こっている事態をそういうことでのみ込めるというね。気づかないうちに、周りを見る余裕がないほど必死になっていたんでしょうね。人と話すことも避けがちになって、物書きの道も1度は諦(あきら)めかけました

 それでも弱音を吐くことなく、付きっきりでひとり、最期まで両親を看取った後、再び立ち上がった衛さんは、以前の何倍も強くなっていた。介護によるブランクも乗り越え、30代ではテレビ、ラジオにも活躍の場を広げていく。

 しかし華々しい活躍の一方、ある思いが日に日に強くなっていくのであった─。