高校卒業と同時に追放

 家族は、母親(52)、再婚相手の義父(50代)と義姉(29)と義弟(21)。こうきさんは物心ついたときから近くに住む祖母の家で暮らしていた。小学校入学と同時に4人の暮らしが始まったが、

「地獄でした。すれ違いざまにビンタ。タバコの火を背中に押しつけられる、蹴られるが、日常でした。父親は基本的に僕とは口をききませんし、目も合わせません。僕をいないものとして無視します」

 母親は義弟を可愛がり、こうきさんをあからさまに差別した。

こうきさんが描く母親。憎しみが爆発しそうになることも

 義弟に肩をもまれて喜んでいる母に同じようにしようとすると、「触らないで!」。義弟が食べ残したものは“しょうがないわね”と食べる母が、僕が残すと、“なに残してんの?”と不機嫌に捨てる。

「僕の唯一の友達」というセキセイインコのピピを、当時4、5歳だった義弟が踏みつぶして死なせてしまった際も、母親は義弟をかばった。今でもこうきさんが「許せない」と憤る出来事だ。

「終始、母は汚いものを見るような感じで僕と接しました。笑顔を向けられたこともない、手を握ったことも1度もない」

 小学校3年から6年まで、こうきさんは、祖母の家に預けられる。中学生になると義父が購入した一軒家で暮らすようになるが……。

「僕の部屋は、動物好きの母が飼っていたうさぎやモルモット、うずらがいる動物部屋。すごく臭くて、学校では“おまえ臭い”といじめられました。母からは言葉の暴力、僕のメンタルを傷つける発言をいっぱいされました」

 高校時代には、母に言われるままホームセンターでアルバイトを始め、手取り月給約3万円の半分を搾取されたという。高校の卒業式の日、帰宅すると、こうきさんの荷物がすべて捨てられていた。「ひとりで生きていけ」と母親に追放されたという。

「自分なんてどうなったっていいんだ、みたいな気持ちになったんですよね」

 という自暴自棄の先に光明となったのが、前出・伏見さんとの出会いだったという。

 人との出会いで救われ、虐待サバイバーとして自分を取り戻しているが、昨年3月、東京・目黒で起こった虐待事件の被害者の5歳の女の子は、自分を助けてくれる誰かに出会う 年まで生き延びることができず、命を落とした。

 真冬のベランダに放置されたり、食事も満足に与えられず、「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」とひらがなで書いた反省文を残し、義父と母に命を奪われたのだ。

 '18年上半期(1月~6月)、全国の警察は、3万7113人の18歳未満の子を虐待のおそれがあるとして児童相談所に通告した。生命の危険があるとして警察が緊急で保護した子どもは2127人。過去7 年の調査で初めて2000人を超えた。

 どこかで救いの手を差しのべる誰かと出会える希望を捨てずに、彼らが虐待サバイバーになることを願う。

12月25日に発売された『ぼくは、かいぶつになりたくないのに』(日本評論社、定価1400円+税)。絵をこうきさん、文を作家の中村うさぎさんが書いている
12月25日に発売された『ぼくは、かいぶつになりたくないのに』(日本評論社、定価1400円+税)。絵をこうきさん、文を作家の中村うさぎさんが書いている