両親ともに中国人というジェリーさんは、インターナショナルスクールに通った。親、兄弟は現在、全員米国に住む。仕事はメディア関係で多忙を極めた。近くにひとり娘(23)が住むものの「こんなことは頼めない」と苦笑する。

 そして、少し恥ずかしそうにつぶやくのだ。

ジェリーさん宅で掃除をしながら、「早く終われば値引きします」と古市さん
ジェリーさん宅で掃除をしながら、「早く終われば値引きします」と古市さん
古市さんの半生と奮闘の日々

「御用聞きに頼むほうがいい。古市さんに会えるし。彼らとのおしゃべりが楽しいんですよ」

 このおしゃべりがミソだ。御用聞きの大きなコンセプトは「会話で世の中を豊かにする」なのだから。

「お身体は大丈夫ですか?」「どこが痛いのですか?」「病院に行ったほうがいいですよ」

 そんな会話を繰り返すうち、支援や介護が必要な状況なのに要介護認定されていないと判明したことは1度や2度ではない。地域包括センターなど公的機関につなぐ仲介役にもなりうる御用聞きは、少子化と核家族化で孤立する高齢者を支援する“ソーシャルビジネス”の側面を持つ。単なる「便利屋」ではないのだ。

 2025年を境に、団塊の世代800万人が75歳以上の後期高齢者になる。行政や福祉、民間と、生活者をつなぐ拠点を目指す御用聞きは、2025年問題という社会課題を解決する使命を負っている。

原点は「6枚の古銭」と「ありがとう」

 そんな大役を担う古市さんだが、1度はどん底を味わっている。

 20代後半は不動産仲介業で成功。有頂天なときを迎えていた。交渉術に長けた凄腕仲介マンは電話だけで契約をものにし、ときには億単位のカネを動かした。ホテルのレストランに関係者を呼んでフルコースの大盤振る舞い。髪をツンツンに逆立てた今風のヘアスタイルで葉巻を吸った。

 そんななか、知り合いに「フルちゃん、次はどんな金儲けする?」と言われ、背中に“稲妻”が走る。トイレへ駆け込み、鏡でわが身をしげしげと見直した。

「今の自分は、自分がいちばんなりたくなかった類の人間になっているのではないか。俺がやりたいのはこんなことじゃない」

 翌月には不動産業の看板を下ろした。

 2009年、「高齢者にやさしいビジネスをやろう」と会員制の買い物代行サービスを思いつく。高齢者が買い物難民になっていると聞き、それを子育て世代が100円代行すれば当たると考えた。

 ところが、会員数わずか100人とさんざんな結果に。社員7人の給料が滞り1年で倒産寸前に追い込まれた。損失は約1億7000万円に上った。

「事業設計が素人で、ダメ経営者の典型でした」

 ある日、アスファルトの道の上につっぷすように倒れ込んだ。

「ふらふらして地面が抜けて下に落ちていく感覚がありました。うつぶせのまま顔を上げたら、景色がモノクロで。ハッとわれに返った瞬間が地獄で、絶望的な感情に襲われました。自分には生きる価値がないと考えました。人生でいちばんつらい時間でしたね」

 通りすがりの人が「大丈夫ですか?」と起こしてくれた。

 東日本大震災の半年前のことだった。

 どん底を味わった者は、謙虚という名のスタートラインに戻る。

 登録しながらサービスを受けなかった会員のもとへ、お詫び行脚に出ることにした。

「謝罪なんていらないから、ちょっとあの棚の上にあるもの、取ってもらえない?」

「2000円あげるから、お風呂場のカビ取りやって」

「3000円あげるから草むしりやって」

 遂行すると、一様に「ありがとう!」と逆に感謝してくれた。

 最後に訪ねた80代の女性宅。玄関のドアが30センチほど開いていたので「すみませーん。いらっしゃいますか?」と入って行った。

 女性は、悲しげな顔で「インターホンが壊れているの」と話した。定期的に訪問してくれるヘルパーに修理を頼むのは気が引ける。ヘルパーの来訪に気づけなかったら困るので、夜もドアを半開きにしたまま寝ている─。

 女性とのそんな会話から、彼女がいかにヘルパーを心待ちにして暮らしているのかが伝わってきた。

 壊れたインターホンは電池切れだった。新しいものを買いに出て取り替えてあげると「ピンポーン」と呼び出し音が鳴った。

 うれしいと喜んだ女性のやせた頬に、一筋の涙がつたっていた。

「これで安心して眠れるわ。ありがとう。でも、財布はヘルパーさんに渡しているから、これで勘弁してね」

御用聞きを始めるきっかけとなった“古銭”を今も大切に持ち歩く
御用聞きを始めるきっかけとなった“古銭”を今も大切に持ち歩く

 古銭の50円硬貨を6枚渡してくれた。古くは昭和31年の刻印のものもあった。

 もらった瞬間、古市さんの背筋が震えた。

「俺は今まで何をしていたんだと思いました。高齢者にやさしいビジネスをすると決めたのに、実際に高齢者と触れ合ってもいなかった。お詫びをしに1軒1軒回ったら、いろんなことを頼まれて。ほんのちょっとのことなのに、泣くくらい感謝されて……。初めて生活者の真のニーズにふれたような気がしました」

 100円家事代行に命を懸けようと決めた瞬間だった。

母が浴びせ続けた「やめなさ〜い!」

 古市さんが「腹の据わった女性」と表現する母・寿恵さん(65)は、息子が実家にやってきてこう宣言したのを覚えている。

「思いついた! 5分100円で御用聞きをやるよ!」

 すぐに「やめなさ~い! そんなの利益が出るわけがない。成功しないわよ」と猛反対した。