3月上旬になると、その姿は東北にある。東日本大震災が起こった2011年から毎年、ラーメンを持って赴いているのだ。

 発災から2か月後、初めて東北に入ったときは、石巻でラーメンをふるまった。当時、仮設住宅の自治会長だった生出信明さん(63)は、その味が忘れられないと話す。

東日本大震災
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「濱田さんはボランティアに来たとは、ひと言も言わない。“みなさん、一緒にラーメンを食べませんか”と声をかける。“大変ですね”とか“がんばってください”とか、そんなことも言わない。ただ、笑顔を見たいという気持ちで来てくれているのがわかるんですよ。それがうれしい」

 2016年の追悼式の後も、濱田は石巻の人々とラーメンを食べた。それから約1か月後、濱田の住む熊本県益城町を震源地に、28時間で2度も震度7に見舞われた熊本地震が発生した。心配した生出さんは、濱田さんの携帯を鳴らし続けた。

「こういう人に会ったことがない」

「笑顔で帰っていったばかりなのに、なかなか連絡がとれなくて心配でたまらなかった。本震の翌日、ようやく電話がつながったんですが、“こっちは大丈夫。これから炊き出しをするんですよ”と元気な声で言うので、びっくり。私にできることはないかと考え、すぐに募金活動を始めました。みんな濱田さんのことを知っているから反響が大きかった」

 濱田は本震の翌日から自分の店の敷地内で炊き出しを始めた。震源地ゆえ行政はまったく機能しない。彼は紙に『民間ボランティアセンター』と書いて貼り出し、行政が受け入れきれない支援物資なども受け入れ、口コミとSNSで水や食料があることを広めてもらった。

「毎日、すごい数の人が来ていました。ここに来れば何かある。温かい食べ物もある。そう思ってもらいたかった」

熊本地震

 備蓄していたラーメンは3日で途切れたが、近くの同業者がすぐに提供してくれた。その後は九州各地からどんどんラーメンが届く。さらに東北をはじめ、過去に被災地で出会った人たちが続々とやってきた。4月半ばから9月末までラーメンをはじめ、石巻や岐阜の焼きそばなど各地の食事が2万食ふるまわれたという。その間、濱田は自らの保険を解約して得たお金を活動につぎ込んでいた。

 地元のイベントなどで交流を深めてきたミュージシャンの樋口了一さんは、そんな濱田に心を揺さぶられた。

「こういう人には会ったことがありません。純粋に献身的に生きている人はほかにもいるだろうけど、濱田さんにはサラリーマン時代から“物語”がある。そしてたどり着いたのが、人のために尽くすこと。とはいえ、聖人君子ではないんですよね。自己顕示欲がきっちりあって、自分語りが好きだし(笑)。下世話な話を面白がる俗っぽさもある。そこがいいんです」

 熊本県山鹿市を拠点に活動する歌姫・山本けいさん(39)は、祖父のアルコール依存によるDVなどの家庭問題に苦しみながら大人になった。だが濱田は知り合って10年、1度も自分から私生活に踏み込んできたことがないと話す。

「話せば聞いてくれる。意見も言ってくれる。だけど決して自分から深入りはしない」 

 来る者拒まず去る者は追わず、なのだ。