だが、そこまで劇的に変わることができたのは、教育者でもある立石さんだからではないか。そんな疑問を否定してくれたのは、前出の医師、松永さんだ。

「勇太君を育てていくなかで、親としての気持ちがムクムクと育っていったんです。だから、今は苦しくても、どんな人でも、いつかは受け入れられるよ。そんなメッセージを彼女は発しているのだと思います」

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卒業式後の謝恩会にて。後輩のお世話ができるほど成長した勇太君と腕を組んで
卒業式後の謝恩会にて。後輩のお世話ができるほど成長した勇太君と腕を組んで
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勇太君の将来

 今年4月から勇太君は就労移行支援事業所に通っている。2年かけて職業訓練を受け、障がい者枠での就労を目指すが、自立するのはかなり難しい。

 では親亡き後、どうやって暮らしていくのか。立石さんだけでなく、障がい児を持つ親たちはみな、残される子どもを案じて頭を悩ませている。

 将来の見通しについて聞くと、立石さんは開口一番、真顔でこう口にした。

「必ず落ちるとわかっている飛行機があったら、息子と2人で乗りたい。本気でそう思っていますよ」

 すでに立石さんは勇太君が終生暮らせるグループホーム作りに向けて動き始めている。入居希望者は多数いるのに空きは少ない。ならば、自分で作るしかないと考えて、勉強を重ねている。

「守らなきゃいけない存在がいるということは生きる張り合いになりますよね。今は異常なくらい食事や健康に気をつけて、健診も必ず受けています。やっぱり息子より1日でも長生きしなきゃと思うから。息子が80歳まで生きるとしたら、私は元気な118歳で! アハハハ」

 立石さんなら、本当にやり遂げてしまいそうだ。

放課後デイサービスのスタッフと勇太君手作りの「トイレかるた」で大盛り上がり
放課後デイサービスのスタッフと勇太君手作りの「トイレかるた」で大盛り上がり

撮影/渡邉智裕
取材・文/萩原絹代(はぎわらきぬよ)大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。'95年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。