普通という呪縛から解放

 小学校は特別支援学校に進んだ。5歳のとき「まだ食べる」と初めて言葉を発して以来、ゆっくりとではあるが、言葉は増えていた。あいさつや生活作法など学校で手厚い指導を受け、できることも増えていった。

 勇太君がトイレを熱心に観察し始めたのは、小学校高学年のころからだ。その前は消火器、非常口のマークなど興味が次々と移っていったが、トイレは飽きることがない。

 デパートなどに行くと全部の階のトイレの個室を3時間かけて見て回る。その間、立石さんはじっと待っている。勇太君はすべての便器の型を暗記し、家に帰ると数十種類の便器の絵を描き、型番を書き込む。2年前からはスマホで動画を撮影している。女子トイレは禁止、年に2回までなどルールを決め、旅行先でもトイレを何か所も撮影。帰宅後にパソコンに移す。

旅行先でもトイレの動画撮影に余念がない勇太君に立石さんも付き合う
旅行先でもトイレの動画撮影に余念がない勇太君に立石さんも付き合う
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 小学3年生から中学までは特別支援学級で学び、特別支援学校高等部に入学した。高等部では主に就労に向けた訓練を行う。

 中学、高校と息子を勇太君と同じ学校に通わせたママ友の神崎さん(50=仮名)は、立石さんのおかげで、将来に向けて自ら情報収集する姿勢を学んだという。

「高等部の保護者会に区の担当者が説明に来てくださった際、立石さんはいちばん前の席に座って、みなさんが疑問に感じていることを積極的に聞いてくださいました。例えば、障害年金をもらえるかもらえないかで子どもたちの将来が大きく変わるのですが、年金申請のシステムには問題点も多いのです。

 みなさんが不安を抱えていらっしゃる中、彼女は社労士や専門家の方々と積極的につながり、そこで得た情報を共有してくれます。そのフットワークのよさと行動力にはいつも驚かされますし、学ぶところが多いです」

 2015年6月、立石さんは20年間続けた自分の会社を手放したという。

 今は講演や本の執筆を精力的に行っている。発達障がいと診断されたり、グレーゾーンの子どもが増えていることも背景にあるのだろう。特に営業しなくても月に4回は講演の依頼が入る。自治体などに呼ばれて話すと、障がい児を持つ親や、障がい者福祉に携わる人などが詰めかける。

 講演終了後は個別相談に応じる。多いのは家族の無理解を訴える声。子どもと過ごす時間の長い母親が障がいに気づいても父親や姑が認めず、板挟みになった母親がうつ状態になるケースが目立つという。立石さんのアドバイスはこうだ。

「夫や姑には黙って、子どもを病院に連れて行けばいいんです。子どものことを優先に考えてください」

 これまで出版した著書は『立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方』など9冊にのぼる。失敗談も隠さずつづり、具体的なアドバイスが満載だ。

「息子を産むまでは、完璧主義でこうであらねばという思いが強かったのですが、普通という呪縛から解放されたら自由になり、世界がものすごく広がりました。人と比べることもしなくなったし。自分がすごく楽になったのは、息子のおかげですね」