完璧主義の母に育てられたトラウマ

 立石さんの父は祖父の会社を継いだ2代目社長だ。長女として生まれた立石さんは兵庫県芦屋市で3歳まで育ち、妹が生まれて間もなく東京に一家で転居した。

 お嬢様育ちの母は教育熱心で、ピアノ、習字、水泳など習い事もたくさんやらせてくれた。

「親からは“いつもいい子にしていなさい”“100点を取らないとダメ”と育てられたんですが、私はあまり出来がよくなくて(笑)。優秀な子と比べられて、“何であなたはできないの”とよく怒られていました。だから自己肯定感が低くて、自分にダメ出しばかりしていましたね」

 父の仕事の都合で、小学2年のときに芦屋に戻り、中学1年で再び東京に転居した。立石さんは自ら希望して、中学2年になるときに編入試験を受けて、聖心女子大学の姉妹校に。富士山の麓にある規律正しい寄宿舎で、高校を卒業するまでの5年間を過ごした。

「口うるさい母親から離れたいという気持ちがあったし、毎日が修学旅行みたいだと思ったんです。ところがどっこい、入ってみたら、もうすっごく厳しくって。勉強しろという親はいないかわりに、洗濯も掃除も自分でやらなきゃいけないし、当番で全員分の皿洗いをすると腰が痛くなっちゃう。親のありがたみが身にしみました」

 中学から大学までの同級生で、今も近所に住む中村千春さん(57)は、立石さんのことを度が過ぎるくらいまじめだと説明する。

まじめだから突っ走っちゃうんですね。自分がこうだと思ったら、周りが見えなくなっちゃう。で、壁にぶつかってボーンとはねかえされても、ちゃんと起き上がって、また走っていくんです(笑)。

 思いつめて自分の主張を通すこともあるけど、他人に嫌な思いをさせることはないので、“美津子だからしかたないね”とみんな許容していたし、愛されるキャラでしたね。今は社会経験も積んで多少もまれた感じですけど、根本的には変わっていないと思います」

 大学は教育学部に進み、幼稚園の教員免許を取得した。卒業後、大手メーカーに就職したが、わずか2か月で強迫神経症が悪化。忘れ物を何度も確認したりして家から出られなくなってしまう。退職して精神科に入院─。

強迫神経症に悩んだ当時の立石さん
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「まさに人生のどん底でした。もともとまじめで完璧主義な人が、こうあらねばと育てられると、発症しやすいそうです。入院させられたことがつらくて苦しくって、死にたいと思ったけど死ぬ自由もないんです。鉄格子の入った窓には鍵がかかり、紐状のものは全部取り上げられて。暴れて2日間、身体を拘束されたことは、今でもトラウマですよ

 入院は9か月に及んだ。病棟のロビーにあるテレビを見ていると、自分と同い年の松田聖子が神田正輝と結婚式を挙げる映像が流れていた。あまりの境遇の違いに、立石さんは涙が止まらなかった。

 退院後に幼児教育の道に入る。幼稚園の教室を借りて読み書きなどを教える課外教育を行う会社に就職し、天職に出会った気がした。

「教えることは楽しくてしょうがなかったです。もともと子どもは大好きなので課題ができたときの子どもたちのうれしそうな顔を見ていると、これ以上の仕事はないなと。昔の教え子から今でも手紙をもらったりするんですよ」