1991年、野口さんは高校を卒業後、都内の一流ホテルに職を得た。その後、バブル崩壊で他人の借金を負った両親を助けるためにホステスをはじめる。それから数年後に結婚し、専業主婦になった。

フライパンを持って家出

 結婚して5年。8歳年上の事業家の夫は寛容で優しかった。夫のために尽くす平穏な日々。夫は「働かなくていいから、習い事でも好きなことをやっていいよ。大学も行きたくても行けなかったんだから行ったら?」とすすめた。専業主婦に憧れる女性なら、願ってもない提案だろう。

 当時の野口さんを4歳年下の妹、亜紀子さんはこう語る。

「結婚していたころの姉は、旦那さんの言うとおりに動いていたイメージですね。旦那さんが食べたいものを作って、環境を整えて。でも、どこか窮屈そうで、ホントはいやなんだろうなとうっすら思っていました」

 野口さんは家事を完璧にこなしながらも、こんな葛藤を繰り返していた。

「料理していても、ずっと考えていました。夫ひとりのためにご飯を作っているこの時間があればどれだけ多くの人を幸せにできるだろうって」

 25歳で結婚したものの、社会の流れを知り、自分の可能性を試してみたくてしかたがなかったのだ。

「結婚生活をしながら、フルで働くエネルギーは全然あったんです。一線でガンガン攻めてみたいって気概も満々」 

 夫は苦労人の妻に、厚意で「今まで大変だったんだから、ゆっくりしなさいよ。どうして働かなくちゃいけないの?」と言ってくれる。しかし、野口さんの気持ちは変わらなかった。

そう言ってくれるのはありがたいのだけれど、私には人生に蓋をされたように感じられました。まるで籠の中にいるような気分なんです。どう言ってもわかってもらえなくて、これでは埒が明かないからと、家出をすることにしました。必要最低限のものを持って出たと思うのだけど、なぜか使い慣れたフライパンを持って出たことしか覚えていないの。主婦の必需品だからかな(笑)」

 こうして“主婦”を捨てた彼女の挑戦が始まった。

 2003年、家出した後に離婚。以前、夫の反対を受けながらも、少しお手伝いでお世話になった花屋『フローリストストウ』にアルバイトで入った。

 野口さんがまず手がけたのは“嫌な人撲滅運動”だ。

 職場には、フラワーアレンジメントや書家など、職人気質の人がたくさんいた。中にはとっつきにくい人もいる。そういう相手には「お昼ひとりなんですけど、ご一緒させてもらってもいいですか?」と言って攻めていく。

「こういうの嫌いじゃないのよ。気難しい人ならたいていお昼もひとりだから(笑)。会話も質問攻め。“どうして花屋さんになったんですか?”とか、話す内容は全部、前の日に考えておいてね」