『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築奈良少年刑務所』(西日本出版社)より
『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築奈良少年刑務所』(西日本出版社)より
【写真】美しい奈良少年刑務所や『映画 少年たち』の舞台挨拶の様子

罪を悔いて再出発する場所

 山下啓次郎が西洋で学んできたのは、刑務所建築の技法や様式だけではなかった。その思想哲学さえも吸収してきたのだ。彼は、こう記している。

 

 《幽暗惨憺たる所の監獄の建築と云ふものは今日は最早無くなって仕舞って居る。

  そうして其の建築たるや総て罪人を改善させる所の目的を以て建てられて居る》

 

「罪人を懲らしめるための暗くて冷たい監獄」ではなく、「罪を深く悔いて再出発をするための希望の場所」を造ろうと考えたのだ。奈良監獄の囚人たちが自ら煉瓦を焼き、積んで、明治41年(1908)、煉瓦建築の奈良監獄が竣工(しゅんこう)。風雪に耐える高品質の煉瓦には、いまも「イ」「ロ」「ハ」と、煉瓦を作った囚人たちの組の名の刻印が見てとれる。

『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築奈良少年刑務所』(西日本出版社)より
『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築奈良少年刑務所』(西日本出版社)より

 時の流れのなかで、ほかの監獄は改築・新築・移転をしたが、奈良監獄だけは、設立当初からその姿を完全に留め、使われ続けてきた。治安維持法による言論弾圧により「思想犯」が収容されたりと、人権が無視される時代もあったが、戦後は少年刑務所と名称を変え、職業訓練と教育の充実した先見性のある矯正施設として機能してきた。

 そこには多くの民間人が関わった。教誨師(きょうかいし)、篤志面接委員(とくしめんせついいん)はもとより、職業訓練には町の左官屋さんや電気屋さんが、季節の行事には地元住民や更生保護女性会の人々がボランティアで参加した。小学生たちが門前で写生大会をすることもあった。「美しいが威圧的ではない心を癒す建物」だったからこそ、そこまで愛されたのだろう

建物は老朽化が進み……

 とはいえ、建物は風前の灯火(ともしび)だった。平成15年(2003)に、すでに建物の大半を解体して新築する大がかりな事業計画が発表されていたからだ。予算がつけばすぐにでも実行されてしまう。

 講師として刑務所に出入りするようになった夫とわたしは「ともかくこの建物の美しさをみんなに知ってもらわなければ」と、東京から写真家の上條道雄氏を招き、法務省の許可を得て煉瓦建築の写真を撮影した。そして、奈良少年刑務所の建築写真展を各地で開催した。写真集も出版したいと考えたが、当時は「刑務所の写真集なんて」と版元から相手にされなかった。