これまで朝ドラでは、ミシンで身を立てた『カーネーション』('11年)の糸子、アイドルという夢と、地震からの復興を描いた『あまちゃん』('13年)のアキ、発明家の夫を支える『まんぷく』('18年)の福子など、時代ごとに、さまざまなヒロインが女性の生き方を示してきた。 

 現在は、朝ドラ100作目の『なつぞら』と、昭和58年に制作された『おしん』というふたつの朝ドラが放送されている。この2作にはどんな女性像が描かれ、また視聴者であるわれわれは何を得ることができるだろうか。

おしんとなつに見られる違いは?

なつぞら』は、戦争で両親を失うも父の友人に連れられ、1946年、9歳から北海道・十勝で暮らすことになったヒロイン・なつの物語である。一方の『おしん』は、日露戦争が終わったばかりの1907年、おしんが数えで7歳のときからスタートする。

 2人のヒロインは親と子以上に生まれた年代は離れているが、戦中・戦後の混乱の時代を生き抜いたという部分など、共通した目線で見られるところは多い。

 『おしん』でヒロインの少女時代を演じていた小林綾子が、『なつぞら』では、なつの同級生の母親役で登場。戦争孤児であるなつに対して「いろいろ大変なことがあったんでしょうね」と語りかけるシーンもあり、大いに話題となった。

『おしん』は、耐える女性が描かれているというイメージが大きいかもしれない。実際、おしんは家族の口減らしとして奉公に出されているし、彼女の母親も、温泉街のお座敷で男性客と酒を飲む場面なども描かれる。

 おしんの奉公先の大奥様のくには、そんな母の姿を見て、おしんに「女というのは親や亭主のためにつらいことを我慢するもの、それが女だ(意訳)」と説くのだ。

 しかし、おしんは死んで初めて自由になった祖母の死を悲しみながらも「おれはそれだけの女にはなりたくね」と憤るし、結婚相手を勝手に決められたときには、意思を持って逃げることができるのである。意外にもここぞというときは、耐えるだけでなく、しっかりと選択しているのだ。