高校時代からの子分と結婚

 23歳のとき、浜野に大チャンスが訪れた。ある監督が撮影寸前に逃亡してしまい、代わりに監督デビューできることになったのだ。

「ピンク映画は男を欲情させるためのものだけど、どうせなら女目線で、女にしか撮れないピンク映画を作ってやろうと思いました」

 自ら脚本を書き、できあがったのが『十七歳、好き好き族』だ。女の子が自らの意思で処女を捨てる姿を描いた作品で、このときから浜野の映画は一貫したメッセージ性をもっている。

 いつでも主体的に選び取るのは女性自身だということ。セックスも人生も。

 27歳のとき、浜野は「高校時代からの子分」と結婚している。夫である鈴木静夫さんは、笑いながら振り返った。

「そういえば高校時代、彼女に呼び出されてバイクで家まで行くと、“そのへんを一周して”と言われるんですよ。バイクの後ろに乗せてばーっと走るとまた家の前で“ありがとう。じゃあね”って。彼女は洗った髪を乾かすために私を呼びつけた。当時はヘルメットが義務じゃなかったのでね(笑)」

 その関係は変わらず、静夫さんは東京の大学に入学後も、助監督として苦労している浜野をそばで見ていた。手伝えと言われれば、車を出して小道具探しに付き合ったりもした。大学卒業後は、故郷の静岡で会社員となるが、ひとり暮らしだった浜野の母のもとへよく話し相手として訪ねていたという。

「彼は、何気に自分のアパートの机の引き出しにいつも予備金として2万円入れてあるって言うわけ。監督デビューしたからって、映画だけで食えるわけはないし、もうダメだとなると在来線で静岡まで行って、彼の机の引き出しから2万円もらってくる(笑)。冷蔵庫を開けると私の好きな食べ物が満杯だったりして」

 浜野も懐かしそうに振り返った。だが結婚という話が出たとき、浜野は「無理だ」と言い張った。映画の仕事は絶対にやめないし、子どもも産まない、と。静夫さんはそれでもいいと譲らなかった。

「うちのおふくろが彼と一緒になることを強く望んでね、まあ、おふくろが喜ぶならいいかと婚姻届だけ出して、彼の両親ときょうだい、うちはおふくろだけで食事会をしました。そうしたら彼の親が、“いい子が嫁に来てくれて”と言ったの。その瞬間、私は立ち上がって“おふくろ、帰るぞ”って(笑)。嫁ってなんだよ、ふざけるな、ですよ。あとから彼が謝りに来ましたけどね」