その後、東京にやってきた静夫さんと、新宿近くで飲み屋を経営したこともある。ふたりの結婚生活は44年に及ぶが、大きなケンカをしたことはほとんどないという。

「ボクは情熱を傾けて一生やりたい何かを見つけることができなかった。彼女はとにかく映画に関わっていれば生き生きとしているんですよ。

 飲み屋をやっていたとき、ツケばかりで払わないから、一時期、映画関係者を出入り禁止にした。そうしたらとたんに彼女、元気がなくなっちゃって。ボクは生き生きしている彼女を見ているのが好きだし、何か要請があれば手伝うけど、それ以外は干渉しない」

 静夫さんはやさしい口調でそう言った。彼女を支えているという実感はないという。

「干渉はしないけど信頼し、お互いに好きなように生きていくのがいちばんですから」

女にしか撮れないピンク映画

 一時期、経営していた飲み屋で知り合い、その後ずっと作品でタッグを組むことになったのが、脚本家・監督の山崎邦紀さんだ。この出会いを機に、浜野は34歳のときに『旦々舎』という制作会社を立ち上げる。自分がプロデューサーを兼ねれば、誰に遠慮をすることもなく映画を作れる。それ以来、自身が監督するときは山崎さんに脚本を頼み、山崎さんが監督をするときはプロデューサーとしてともに映画に携わってきた。

「私が初めて出会った男らしくない男なんですよ、ヤマザキは。褒めてるのよ(笑)。人として話ができる。彼に出会ってから、私は“男はダメよね”と言うのをやめたんです。私は男個人をダメだと思っているわけではなくて、日本の男たちが作ってきた男社会に女の居場所がないことを怒っているとわかったから。そういうことを教えてくれたのもヤマザキでしたね」

 山崎さんは、「監督とボクとは真逆の人間だから、分担して仕事ができたのかも」と笑う。

「監督は学校で勉強してきた頭でっかちの人ではなくて現場で叩き上げてきた人。言い出したら聞かないし、強烈に自分のメッセージをもっている。相手が誰であっても、感じたことはすぐに口にするしね。昔はすごかったですよ。ピンク映画という男社会の中で誰をもびびらせていた。“殺すぞ、てめえ”なんて言ってたからね(笑)」

 タッグを組んだふたりのピンク映画は受けに受けた。'80年代から'90年代にかけて、年間20本から25本くらい映画を作っていたという。常に台本を3冊抱えて撮影しているような状態だった。

単館上映で各会場に必ず足を運び、見た人の反応を確かめるのは浜野のこだわり

 浜野のピンク映画には特徴がある。下着の上からの女性の股間アップ、パンフェラと呼ばれる下着の上からのフェラチオ、そしてザーメン返しの3つだ。男性監督は遠慮して股間のアップを撮れないことが多い。浜野は女性を愛するがゆえにアップを撮る。パンフェラもうっすらとペニスの形状が透けて見える。もちろんペニスは小道具を使うのだが、それでもかなり扇情的だ。極めつきがザーメン返し。口内発射された精液を、女性がそのまま男性に口移しする。

「もちろん、作り物の精液だけどね。出されたものは返しましょう、ということで(笑)」

 男に都合のいい、されるがままのセックスをよしとしない浜野の信条である。男性監督よりずっと「エグい」浜野の作品は、そのエグさによって人気を博した。