父の自殺と世間への憎悪

 地元の中学に進学した青葉容疑者。小学生のころから続けていた柔道部に入部する。

「上下関係が厳しかった柔道部で1年生のくせに彼は態度が大きく、反則技を使うので組むのをみんな嫌がっていました。股間を蹴り上げるような内股をかけるんですよ。2学年上のお兄さんが部長をしていたから威張っていたんでしょうね。

 彼の自宅に遊びに行ったことのある同級生は“あいつんち、しょんべん臭いんだよ”と言ってました。2年生のころ、学校に何も言わず突然、転校してしまったんです。先生から“青葉どうしたか知ってるか?”と聞かれた覚えがあります

 と、同部の同級生が語る。

 転校先では不登校がちで「目立たないタイプ」「修学旅行にも来ていない」と同級生の記憶にはほとんど残っていない。卒業アルバムの集合写真にも姿はなく、別撮りの個別写真があるだけだった。

 ひっそりと中学を卒業した容疑者は、埼玉県内の定時制高校に入学、同時に埼玉県庁の文書課で文書の集配をする非常勤職員として働き始める。働きぶりは優秀で、目立ったトラブルもなかったという。

 その後、春日部市内のアパートでひとり暮らしを始めた容疑者はコンビニでアルバイトを始める。順風満帆とはいかなくてもまだ人としての暮らしがあった。だがしかし、容疑者の周辺は世紀末を境に一変する。

「'99年の暮れに父親が生活苦から自殺をしたんです。青葉はひとり暮らしをしてからもたびたび父親のもとを訪ねるなど親子仲はよかったようですからショックだったでしょう。その当時、世間ではハッピーミレニアムムード一色だった。世間への身勝手な憎悪を募らせていったのかもしれません」(民放ワイドショー記者)

 そのころから家賃を滞納するようになったという容疑者。そして、第1の事件が起きる。

「'06年に下着泥棒をしたとして警察に逮捕されたんです。初犯ということもあり執行猶予付き判決になりました」(全国紙社会部記者)

 判決を受けてからは住み慣れた埼玉を離れ、母親の住む茨城県西部にほど近い雇用促進住宅に入居する。春日部のアパートで滞納していた家賃は実母が負担したという。

 当時の管理人が契約書類を見ながら説明する。

「青葉さんは'08年の12月25日に入居し'12年の6月まで3年半にわたって住んでいます。私は'12年の4月から担当したんですが、前任者から“うるさい、周りから苦情が来る、問題あり”と注意がありました」

 真夜中の0時4分に必ず大音量のアラームが鳴る、壁をたたく音がする、など周囲とトラブルを起こしながらも管理人が注意に行くとおとなしく「はい」と従ったという。