岸本さんが配っているチラシ。1枚で読めるような情報を詰め込んだという
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 同様の差別はいまもある。

「私たちがいくら反対しても、世界一危険な普天間飛行場にオスプレイは配置されるのに、佐賀県でのオスプレイ配備に県知事が反対すると国はそれを認めた。この違いは何でしょうか」(岸本さん)

県外の人に移設を訴えるのが私の役目

 岸本さんも栄子さんも「県外移設」を訴えて痛感するのは、その差別を、沖縄の現状を憂う「本土」の人こそが知らないことだ。

 こんなことがあった。

「本土」から来た平和活動家の前で、栄子さんが県外移設の考えを述べると、「その話は間違っていませんか?」との反論を受けた。

 50年以上前に砂川闘争で反基地運動を展開したというその男性は、「戦争につながる米軍基地は日本のどこにもいらない。県外移設は“本土”に新たな基地を作ることになる」と主張した。

 栄子さんはこう反論した。「沖縄では日本復帰まで施政権はアメリカにあって、“本土”の基地を自由に沖縄に持ち込めたんです」

 男性は表情を変え、「自分たちの反対運動の結果、基地がまさか沖縄に移ったとは……申し訳ない」 と謝罪した。

「沖縄県民には県外移設に同意する人は多いと思います。でも県外の人にその意見を伝える人は少ないですね。それが私の役目です」(栄子さん)

 沖縄で「県外移設」を訴えるのは岸本さんや栄子さんが初めてではない。

 1995年の米兵3人による少女暴行事件を機に、日米の協議で普天間飛行場(宜野湾市)の撤去、そして辺野古移設が決まった。

 その後、宜野湾市の女性たちが「自分の思いを自分たちの言葉で、自由に発言しよう」と『カマドゥー小(グヮ)たちの集い』(以下、カマドゥー)との集まりを作り、名護市へ赴き個別訪問を行って「宜野湾のためにと移設を受け入れないでいいです。一緒に沖縄から基地をなくしましょう」と訴えた。