少年たちの保護司を務めた金城さん。彼の家族に相談されることもあるという

 沖縄戦で住民85人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村(よみたんそん)のチビチリガマが、2017年、沖縄の少年たちに荒らされた

 彼らは「肝試し」でガマ(洞窟)に入り、動画撮影もしていた。なかには住民が死を選ばされた凄惨な戦跡であることを知らない者もいた。

 激しい地上戦で県民の4人に1人が犠牲になった沖縄。生活圏に戦争の遺構が存在し、その体験が語り継がれてきた土地で起きたガマ荒らしは、衝撃をもって受け止められた。

 戦後74年。戦争体験者の高齢化が進み、戦後生まれが人口の8割を占めるなかで、悲惨な記憶をどう伝えていくべきなのか。

「落ち着け」と自分に言い聞かせた

チビチリガマの様子がおかしい

 読谷村の彫刻家、金城実さん(80)は'17年9月12日、ガマを訪れていた平和運動家の知花昌一さんから一報を受けた。

 駆けつけると、看板が壊され、千羽鶴が引きちぎられ、ガマ内部の遺品や遺骨までもが荒らされていた。金城さんは湧き上がる怒りの感情を抑え、「落ち着け」と自分に言い聞かせながら、遺族がどんなに悲しむだろうか、と考えていた

 チビチリガマに設置された「平和の像」は、金城さんと遺族たちが1987年に共同で制作し設置したものだ。しかし、その半年後に襲撃・破壊されたという過去を持つ。「また右翼だろうか」と、金城さんは思ったという。だが数日後、犯人が少年であることがわかる

 事件から1か月が過ぎたころ、金城さんのもとに那覇地方裁判所から依頼書が届く。それは、少年たちの保護司になることだった。保護司とは、罪を犯した少年が円滑に社会復帰できるよう保護観察官と連携しながら指導やアドバイスを行う立場にある。

 「なんでよ?」というのが、金城さんの最初の感想だった

 自分はチビチリガマに関わってきた人間として被害者だ。なぜ加害者に協力しなくてはならないのか。金城さんは悩み、チビチリガマ遺族会の会長に相談に行った。すると「自分のところにも(依頼書が)きている」と会長は言った。

 迷いながらも引き受けることにし、保護司のマニュアルが届くと、金城さんは再び疑問を抱く。数回の面会と社会奉仕で更生させるとある。公園の掃除、老人ホームの奉仕……「気に食わん」。金城さんは独断でやり方を変える

 初めての面会日は、遺族、地域の長老もチビチリガマの前に集まった。少年たちとその親、保護観察官もやって来た。少年の中には金城さんの孫と同年齢の子どももいた。

 ある人が「読谷村の子どもではなくてよかった」と言った。金城さんはその言葉が引っかかった。もしかしたら自分の孫だったかもしれない。

「身内ではなくてよかった」ですむのだろうか。これは、体裁を繕う話ではなく、人間の生き方の問題だ。そして、悪いことをするには理由がある、と金城さんは思った

「少年らと付き合って自分も勉強した。背景を知ることにしたんだ。彼らは何者や、と」