俳優たちによる“映画界への不満”

 製作側の事情は述べたが、そもそも俳優本人から「撮りたい」という意思を示すことも少なくない。例えば前述の松田優作と脚本家・丸山昇一(映画『野獣死すべし』など)との関係は有名で、松田は丸山にプライベートで次々と新しい脚本を書かせてはダメ出しし、運命共同体として作品作りをしていた。

 また松田が『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)で殉職シーンを演じた際、実はカットされ放映されてない松田のアドリブのセリフがあった。母を大切に思っていた松田はジーパン刑事の死ぬ間際のセリフに「母ちゃん…」というアドリブをいれ演じていた。

 あまりにも単純すぎる発想という理由でカットになったが、松田の母への思慕は強く、彼が監督した映画『ア・ホーマンス』の阿木耀子演じる赤木加奈子のひざ枕で風(松田)が眠るシーンでついに結実することになる。(出典『松田優作物語』秋田書店)。

 やりたいことが、伝えたいことがやれない。だから自分で監督をする──。昨今ではそれに“日本映画界に対する不満”が加わる例もある。どんな不満なのか。

 シネマトゥデイが2016年に公開したカンヌ受賞監督・深田晃司のインタビューにそれを紐解く言葉がある。

《映画を1本撮ろうとすると、数千万円から数億円のお金がかかる。ヨーロッパや韓国は助成金という形でそのリスクを抑えることで、映画の多様性を保とうとしている。だけど、日本の場合はそうした制度が整っていないがゆえに、テレビで顔を知られている有名な俳優を使わなければいけないとか、皆が知っている原作を使わなくちゃいけないといった考え方になってしまう。

 日本のように製作費のすべてを劇場収入とDVDやテレビ放映などの二次使用のお金で回収しなくてはいけない体制では、多様性は育ちにくいですよね。(中略)どうしても尖った題材は扱えなくなってしまう》

 また'17年10月11日号の『anan』(マガジンハウス)に掲載されたたけしのインタビューにも、

《まあ映画業界なんて閉鎖的だからさ、アメリカのアカデミー賞もそういうところが問題になって、いろんな国の人を会員にするとか言ってるけど》

 とあり、いかに業界が保守的で、業界内の慣習のみで完結しているかをほのめかしている。 

 これらはクリエイティブ側には当然の話であり、クリエイティブ思考の強い俳優ほど(表立っては言わないが)「有名な俳優ばかりの使い回し、尖ったものや多様性のあるものがやりにくい体制で閉鎖的な日本の映画界は、このままじゃダメになる」と危惧を抱いていることが多い。また『カメラを止めるな!』など低予算映画のヒットから、「映画界が低予算に舵を切りすぎると、撮れるものに限りが出て作品の多様性が失われる」と嘆く業界人もいる。

 業界内ではヨーロッパの映画界と手を組んで日本の才能のある監督を育てていこうとする動きもあり、今現在、日本映画界はその変革の黎明(れいめい)期にあると見ることもできる。要は面白ければいいのだが、観客が「NO!」を突きつけた俳優兼監督の映画は数知れず。はたして池田エライザの初監督作品はどんな結果を残せるのか。日本映画界の未来のために温かく見守りたい。

(衣輪晋一/メディア研究家)