個人的な祈りのようなもの

「受賞のおかげか、『週刊新潮』で連載させていただけることになりました。それはすごくありがたかったのですが、月刊のときには1作描いたら1〜2週間は漫画のことを考えなくていい時間があったのに、週刊だと1本入れたらすぐ次のネームを作らないといけなくて。“あ〜週刊ってすごいなぁ”と(笑)。連載前に10本ストックを作って始めたのですが、それが、一瞬でなくなりました」

 週刊連載の厳しさにびっくりしたとのことだったが、それでも毎週、締め切りの数日前には完成させていたというからすごい。

「土日で描くと決めていて、その2日間は劇場に出ていることが多かったのですが夕方には終わるので、夜、ほんこんさん(作中に登場する“ガサツな先輩”のモデルのひとり)のお誘いを断って(笑)。

 劇場の楽屋でも描いていたのですが、横で見ながらねちねち……いや、ごちゃごちゃ……擬音を間違えました(汗)。ええと、いろいろとためになるアドバイスをくださいました。“こうしたほうがおもろいんちゃうか”って」

 連載再開のスタート時は、“明るいエピソードを描こう”と考えていたという矢部さん。

矢部太郎 撮影/北村史成
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「連載中、大きくいうと3回、気持ちに変化がありました。最初は、週刊であっという間に印刷されるし(笑)、それをまた大家さんに読んでもらえるというのがモチベーションのひとつとなっていました。1話目に“僕はとてもいい家に住んでいます”というコマがあるのですが、大家さんへの手紙というか、面と向かっては言えないけれどこういう形でなら伝えられるという思いを、できるだけ楽しく、おもしろく描いていけたらなと

 しかし連載を再開した年の8月、残念なことに大家さんが亡くなられてしまう。

「大家さんとお別れしなければいけなくなったときに、1度、休載させてもらいました。描くこと自体できなくなったというか……。そのあと、時間がたつことでもう1度、描きたいなと思うことができたので、それからは大家さんへの感謝の気持ちで描いていました。もう大家さんに届けることはできない。だから、それは手紙ではなくて、僕の個人的な祈りのようなものだったのだと思います」