釜ヶ崎には簡易宿泊所が多い。宿泊費は1泊500円から。1500円払えば鍵つきの快適な部屋。激安のスーパー玉出では特売品のソーセージやちくわが1円で買えるし、公園で炊き出しもある。保険証がなくても、お金がなくても医療を受けられ、収入がなくても命をつなぐことができる。

「釜ヶ崎のおじさんを『支援している』と勘違いされることもありますが、私たちの活動は表現活動です。アートは、『支援する・される』という関係を逆転していく。支援する側だった人も学び、生きる力をもらう。関わるすべての人のセルフケアにつながっている。『支援する・される』に閉じ込められるところにこそ、アートは必要やと思います」

帽子に着物姿で自転車にまたがり、商店街を颯爽と走る
帽子に着物姿で自転車にまたがり、商店街を颯爽と走る
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 着物姿に帽子がトレードマークの上田さんは今日も商店街を自転車で颯爽と走る。顔見知りのおっちゃんに「気いつけて帰りや」「またココルーム来てな」と挨拶する。道端でワンカップを飲む男性にも「着物の姉ちゃん、どっかで見たことあるなあ」と声をかけられ、笑顔を返していた。

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 お盆には毎年恒例の『釜ヶ崎夏祭り』が開催され、釜ヶ崎を去った人たちも楽しみに訪れる。われわれの取材中にも「あばよ」という愛称の男性がココルームのカフェにひょっこり顔を出した。

「オレはさ、数年前まで釜ヶ崎に6年間住んでたんだ。今じゃ横浜で定職について住む部屋もある。貯金もしてるよ。自分で持ってると使っちゃうから管理してくれる人がいるの。盆と年末には帰ってくるんだ。仲間に会いにね」

 釜ヶ崎で生まれたことばを刻みたいと上田さんが読み札をまとめた『釜ヶ崎妖怪かるた』に彼を詠んだ札がある。

「さらば、あばよ。夏祭りと越冬で会おう」

『ゆるすまち、ゆるされるまち』だ

「釜ヶ崎の三角公園では、お盆に『夏祭り』、年末年始に『越冬闘争』が行われます。日雇い仕事が減る苦しい時期を、飢えることなく孤独に命を落とすことなく、楽しく過ごせるようにという願いが込められています」(上田さん)

 4日間の夏祭り。演芸アワー、スイカ割り、綱引き、すもう大会、盆踊り。安くてうまい屋台が並び、特設ステージで歌やダンスが繰り広げられる。

 今年は夏祭りに合わせ、ゲストハウスのココルームに2つの団体が滞在し、例年以上ににぎわいを見せていた。ひとつはイギリスの公的な文化交流機関『ブリティッシュ・カウンシル』と視察団。そして、東京を拠点に活動する路上生活者と元路上生活者で構成されたダンスチーム「ソケリッサ!」のメンバーである。

 滞在中、釜芸の講座『ソケリッサと踊ろう! 三角公園夏祭りで発表!』と題してワークショップも行われた。

 2012年から始まった釜芸では、年間およそ100講座が開講されている。詩や俳句、哲学、美学、天文学、合唱、書道、スケッチなどその内容は幅広く、大学教授やアーティストが講師としてやってくる。釜ヶ崎のおっちゃんたちを中心に、旅行者や大学生、地元の子どもたちなど誰でも参加でき、交流の場にもなっている。ビールの空き缶で作る『からくり人形ゼミ』や『井戸掘り』では釜ヶ崎のおっちゃんが中心となり、参加者から「先生」と呼ばれる。

 講座はいつも、上田さんの挨拶から始まる。

「釜芸が始まって7年たちました。1期生の中には亡くなった方もいます。ここに、生きてきた人たちがいて、ひとりひとりに出会うことを大切にしていきたいと思います」

 参加者全員の自己紹介では「その日、自分が呼ばれたい名前」を伝え、そこにいるみんなが声をそろえてその名を呼び、返事をする。たったそれだけのやりとりで、ひとりひとりの存在が立ち上がる。

 上田さんの文章の中に釜ヶ崎を表すこんな一節がある。

「人間くささを許容する釜ヶ崎は『ゆるすまち、ゆるされるまち』だ」

 釜ヶ崎のおっちゃんだけじゃない。参加したすべての人が、今ここにいる自分をそのまま受け入れてもらえる安心感を感じることができる。いつも肩書に縛られている人もそこから逃れられるのだ。