心が壊れていくなか、小学6年生のころから児童精神科に通うように。いつ自殺してもおかしくない状況が続いた。

「死にたい気持ちもあったんですが、どうでもいい人間に言われた言葉で死ぬのは嫌だな、とも思っていました。死ぬかどうかは紙一重。状況や環境、気持ちの上下によっても違います。矛盾するようだけど、自分が生きていることがムカつくこともあります」

 負けず嫌いが働いて、中学は加害者と同じ学区内の学校へ進学。そのためもあってか、相談室への登校となり、週1日〜3日通った。不安定なときはいじめられた夢を見たが、眠れないことが多く、睡眠導入剤が処方されていた。高校は通信制を卒業。友達もでき、楽しかった。ただ、容姿について悪口を言われたため、自信がない。いまだ人を信用できない。死にたい気持ちと隣り合わせの状態が続く。

「屋上でボーッとしたことや、線路の近くでしゃがんで電車を何回も見送ったこともあります。どうして、学校は生徒第一じゃないんでしょうか」

派閥に属さなかったらいじめの対象に

桃江さんは10月に男児を出産、わが子には自信が味わえなかった楽しい学校生活を望む
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【写真】苦しさを滲ませながらも未来を生きようとする被害者の女性

 都内に住む野島桃江さん(18=仮名、以下同)は、母親の志保さん(44)と2人で暮らす。昼間でも遮光カーテンで閉め切っているために部屋は暗い。日が当たると、桃江さんにじんましんが出てしまうからだ。

 '15年7月、岩手県矢巾町の中学2年の男子生徒(当時13)が自殺した。いじめを苦にしていたため、町教委は「いじめ問題対策委員会」を設置。報告書によると、いじめが希死念慮につながったことは認めつつも、遺書がないなどから、「自殺の原因を特定するのは困難」と判断した。

 同校は2つの小学校から進学する。そのため、日常的に“派閥”が作られていたが、桃江さんはどちらにも属さなかった。

「私は学区外から転校してきたんです。そのため、“どっちがいい?”と聞かれました。決めかねているうちに、いじめにあったんです」

 桃江さんは、亡くなった男子生徒と同じクラス。中1のころからいじめを受け、男子生徒からも心配されていた。

 教室から出ると、クラスメートから「出て行った」と、はやしたてられ、戻ると「戻った」と実況される。掃除の時間には、担当の場所から追い出された。学年全体から無視されたこともある。

 5月には罵声を浴びるようになり「消えたい」と思い始めた。言い返したりはできないため、リストカットをする。

「手首を切っているときの記憶はありません」

 担任に「クラスの人から無視されている」と訴えても、「呼びかけが聞こえなかっただけじゃない?」と言われるだけだった。

「“何かあったら話を聞くよ”と言われたので打ち明けたんですが、先生は言い返すだけ。何を言っても無駄です」