この旅の終わりに、カオリさんはアメリカ入国を果たし、サンフランシスコでダンサーとして働くようになった。

 香港に遠征し、アンバサダーホテルのショーに出演していた33歳のとき、のちに25年間連れ添うことになる、ビル・ターナーさんと出会う。ビルさんはハリウッドで著名なメイクアップアーティストで、スティーブ・マックイーン主演の映画『砲艦サンパブロ』の撮影に参加していたのだ。

 ステージのカオリさんに一目惚れしたビルさんは、ショーに通いつめ、2週間目にプロポーズした。しかし気ままに踊って暮らす生活が気に入り、結婚するつもりがなかったカオリさんの答えはノーだった。何より17歳のときにマネージメントの男性とした最初の結婚が、束縛を強いられるもので、懲りていたのだ。

「スティーブ・マックイーンが私の部屋を訪ねてきて、ビルがいかに素晴らしい人で私を愛しているかを語るんだけど、答えが変わることはなかったの。でもその後、反英の暴動が起きたときビルが自分の身の危険も顧みず、私のもとに飛んできてくれたのね。“ああ、この人だったら信頼できる。私を一生守ってくれる”と結婚を決意したわ」

 2人の挙式は、ロケ現場である戦艦の上で執り行われた。

『砲艦サンパブロ』撮影現場で挙式。スティーブ・マックイーンと握手
『砲艦サンパブロ』撮影現場で挙式。スティーブ・マックイーンと握手
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「午前中のシーンを撮り終えると、甲板にピアノを運んで、たくさんの花で飾ったりして、クルー全員が私たちを祝福してくれたのよ。ロバート・ワイズ監督がお父さん代わりで、スティーブが立会人をしてくれたわ」

 突然の国際結婚に母はショックで3日間泣き続けたというが、帰国した際、彼の穏やかな人柄に触れると安心し、娘の門出を祝ってくれた。

 ビルさんは優しく、理解のある夫であり続けた。ラスベガスでステージに立つカオリさんのもとに毎週末ロスからやってきて通い婚を続けた。

絶たれたダンサー生命からの復活

 円熟した踊りでダンサーとして絶頂期を迎えていたカオリさんを突然のアクシデントが襲ったのは38歳のこと。ステージでひざの靭帯を切る大ケガをして、ダンサー生命を断たれることになったのだ。

「やっとラスベガスでソロダンサーになれて、やるぞ! というときに、魔が差したのね。

 踊ることが命だったのに、もうステージに立てなくなると言われ、絶望したわ。人が踊っているのを見るのもいやで、テレビでダンスをやっていても消しちゃってた。あんなのできるって」

 半年間の車いす生活の後、ようやく歩けるまでに回復したが、生きがいをなくしたカオリさんは失意の底にいた。ビルさんは気晴らしになればと海外ロケに連れ出し、カオリさんに俳優たちのボディメイクを頼むようになる。ダンサーは自分でボディメイクをするため、手慣れていたからだ。カオリさんは俳優の肌を美しく見せようと夢中になって刷毛を動かした。次第にその仕事ぶりが評判となり、ヘルプの依頼が舞い込むようになる。41歳にして新しい道を進み始めたのだ。