9月29日、『NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり』という番組が放送された。七色の声をもつといわれたひばりの声をAIで再現、彼女自身が歌ったことのない新曲を披露したのである。ひばりにゆかりのある人たちが見守る中、AIによって「美空ひばり」は見事に再現された。歌声を聴いて慟哭に近い姿を見せていたのが、息子である加藤和也(48)だった。

母の“仕事場”、劇場で育った幼少時代

 不世出の大歌手だった美空ひばりが亡くなって30年。加藤はまだ16歳だった。母亡きあとの30年にわたる月日を、彼はどうやって過ごしてきたのだろうか。

 東京都目黒区青葉台─。美空ひばりがかつて過ごした家が、今は記念館になっている。その応接室に現れた加藤は、穏やかな実業家というイメージだ。

「あのAIには参りましたね。紆余曲折を経たけど、最後はおふくろの声そのものだった。科学技術ってすごいなあと感心するしかありませんでした」

 応接室には、かつて美空ひばりが座っていた椅子がカバーをかけて大事に置かれている。30年間、誰も座ることのないまま、部屋の中心に椅子はある。

「おふくろが亡くなったときは、ものを考える余裕がまったくありませんでした。メディアに気づかれないうちに病院からおふくろを家まで運び入れることしか考えていなかった。静かな環境で家に入れてあげたかった。泣いている暇もなかった気がしますね」

 加藤は「おふくろ」と呼ぶが、彼は美空ひばりの養子である。ひばりの弟・哲也さん夫婦の長男として生まれた後、両親が離婚。物心つく前からひばり宅で過ごしていた。ひばりとは一卵性母娘と言われた祖母・喜美枝さん、ひばり、運転手や付き人、お手伝いさんなど多くの大人たちに囲まれて育つ。来客も多い家だった。

 美空ひばりは、「ファンがいるところに自分から行く」タイプのアーティストだった。毎年、全国ツアーがあり、名古屋の御園座や東京の新宿コマ劇場では2か月公演も珍しくなかった。どこへ行ってもチケットは売り切れる。加藤が幼いころ、ひばりはツアーに彼を連れて行った。

「劇場で育ったようなものです。おふくろの仕事場ということはわかっていても、まだ小さい僕にとっては遊園地でした。いたずらもしましたね。本番直前に音響の目盛りを全部めいっぱいに上げてしまったり、ドライアイスを各フロアのトイレに放り込んで3フロアくらい真っ白になってしまったり。そのたびにおふくろには叱られました」

舞台の袖から幼い加藤が「ひばりちゃん、日本一!」と叫ぶのが習慣で、それを聞くとひばりの笑顔が弾けた

 家でもときどきいたずらをしていたらしい。お手伝いさんとして家事万端を取り仕切っていた辻村あさ子さん(69)が当時を振り返る。

「いたずらがひどかったとき、かーくん(和也)をボイラー室に入れちゃったことがあるんです。哲也さんにも厳しくしつけてほしいと言われていたので。だけど、あとから自分でボイラー室に入ってみたら狭いし暗いし、小さかったかーくんはさぞ怖かっただろうと思って(笑)」