それにしてもなぜ、順子さんが襲われなければならなかったのか。

「怨恨、わいせつ、金銭目的を含め、すべての可能性を排除せずに捜査しています」

 動機について渡會課長はそう語ったが、順子さんが人から恨まれていたという情報はない。順子さんの私物には手がつけられず、自宅1階のキャビネットから旧1万円札がなくなっていたものの、金銭目的とするには弱い証拠だ。加えて物証に乏しい放火現場の状況から、渡會課長は「動機は本当にわからないところもある」とも漏らした。

 一時はストーカー説も浮上したが、立証には至っていない。

念願の米留学、絶たれる

「あれから未解決。一体、誰が? なぜ? なぜわが家が? なぜ彼女が? それらの疑問符がずっと今まで続いています」

 順子さんの父、賢二さん(73)が語気を強めて言った。

順子さんの父・小林賢二さん
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 順子さんは上智大学外国語学部英語学科の中でも、最もレベルの高いAクラスだった。周りは帰国子女ばかりで、最初は「授業についていけない」と悩んでいたが、そんな環境にも徐々に慣れていった。小・中学生に英語を教えるボランティアサークル「サマー・ティーチング・プログラム(STP)」に所属し、夏休みには新潟で活動を楽しんだ。

 3年時に専攻した東南アジアのゼミでは、1週間かけてタイ、マレーシア、シンガポールの調査に出かけた。同じ調査班だった同級生の男性(46)は、こう振り返った。

「日本の漫画などサブカルチャーの普及についての調査でした。彼女は英語が流暢で、物怖じしない、自分の考えを持ったしっかり者でした」

 そんな順子さんには、学生生活を謳歌してもらいたいと、賢二さんは門限を設けなかった。たまに遅く帰ってくると、ひと駅離れた高砂駅まで自転車で迎えに行った。順子さんを荷台に乗せ、ハンドルを揺らしながら夜道をこいでいたのが、昨日のことのように思い出される。

「いくら帰りが遅くても、僕は決して怒りませんでした。自分が経験していないキャンパスライフを謳歌しているんだなと。そんな思いで見ていました」

 ジャーナリスト志望だった順子さんは4年生のとき、念願の米シアトル大学への交換留学を決めていた。

「順子は外では姉御肌だったようですが、家の中ではお母さんに甘える子でした。妻も1年留学すれば大人になって帰ってくるかと期待していたんですが」

 しかし、旅立ちを2日後に控えた順子さんの夢は、無残にも打ち砕かれた。