――万全の対策をして臨まれた暁星小学校の受験、いかがでしたか? ほかにはどこを受けられましたか?

「慶應幼稚舎と横浜初等部にも出願しました。暁星は、一次試験は通過したものの、二次試験の際、試験会場でお友だちと喧嘩をしてしまい、不合格となりました。

 ダメ元で出願していた慶應幼稚舎も、“コネなしフリー枠”狙いの我が家は当然ながら不合格。私は「人生すべて終わった」と、マンションから息子とともに身投げをしたい衝動を必死で抑え、ただただ泣いておりました……。

 そして最後の慶應横浜初等部、一次試験のペーパーは通過しましたが、二次試験を突破する自信はまったくありませんでした…。

 しかし、なんとその二次試験の内容が、試験3日前に受講した横浜初等部の二次試験向け特別講習会の試験内容とほぼ同じだったんです! 講習会の際に、できなかった部分は先生に細かくレクチャーを受けていたため、奇跡的に合格をいただくことができました!

 横浜初等部は、慶應といっても中高は普通部や塾高には進学できず、中学からは横浜より遥か遠い湘南の藤沢中等部にしか進学できません。されど慶應! 小学校から慶應、そして慶應大学卒業という肩書きは手に入れたのです!! 死をも覚悟していた私の人生、ここにきて、やっとやっと開花しました。

 振り返れば、妊娠してから7年間、自分のことはすべて後回しにして、ひたすらお受験に没頭してきました。迎えた入学式では、風にそよぐ赤と青の慶應の旗を目にしたとき、涙が止まりませんでした。しかし、それも束の間の至福、息子が夏休みに入り、少し落ち着いたタイミングで受けた人間ドックで乳がんが見つかったんです」

――症状はなかったのですか?

「前々から胸がたまに痛くなることがあったり、出産後や授乳を止めた後の検診で、乳腺に石灰化したものが見つかったことはありましたが、医師の所見でも気になるところがなく経過観察と言われ。その後6年間は受験に忙しく、人間ドックを受診していませんでした。

 私はすぐに手術し、乳房を含め切除することを決めました。“間に合った! まだ私はラッキーが続いている。まだまだ息子の華麗なる人生はスタートしたばかり、一度失ったと思った命、こんなところでくたばってはいられない”と。

 しかし、息子にしてみれば、私がその手術を行うことにした時期は、小学校に上がって激変した生活からしばし解き放たれ、やっと母親に甘えられると思っていた夏休み。甘えることができなくなったショックからなのか、私の身体や髪型が手術後変わってしまったからなのか、息子は退院後の私を受け入れることができなくなってしまったんです」