復興のオリンピックと言えるのか

 2月29日と3月1日に、福島では東京オリンピックに反対する市民のスタンディング抗議が行われた。聖火リレーがスタートするJヴィレッジ前、それから野球が行われる福島市のあづま球場前には県内外から約50人が集まり、「汚染水はコントロールされていない」「避難者はまだ5万人」と、8か国語で書かれたプラカードが掲げられた。

 参加者のひとり、福島県三春町の武藤類子さん(66)は日に日に増える五輪報道に、「福島の人たちは、本当はどんなふうに思っているのかな」と考えていたという。

 ある日、新聞で大熊町の避難者が「福島はオリンピックどころでねぇ」と語っている記事を目にした。表には出さないけれど、被害を受けた人の共通の思いだと感じた。

 一方、「復興五輪」を銘打つ聖火リレーには、希望に胸を膨らませた子どもたちも走り、故郷をアピールする。大人は何をやっているんだろう──、そんな思いが募る。

「汚染水の問題は解決せず、事故が起きた原子炉の排気筒には被ばくを覚悟で何人も上り、被害者の賠償は打ち切られ、生活は再建されていない。産業も元どおりとは言えないでしょう。アスリートや五輪を応援する人が被ばくする可能性もあるのに、本当に復興のオリンピックと言えるの? と思います」

復興五輪へのスタンディング抗議で武藤さんは、土壌汚染や汚染水の問題、避難者たちの窮状を訴えた
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 原発事故の直後、「ただちに影響はない」のでマスクをするな、怖がるなという空気があったことを覚えている。

「すぐに症状が出るコロナは怖がってもいいんだ……と思うと、複雑です」(武藤さん)

 マスク姿があふれる景色にそんなことを思う。

 スタンディング抗議の際、武藤さんは「さまざまな問題がオリンピックの陰に隠され、遠のいていきます。終わったあとに何が残るのか、とても不安です」と訴えた。

 原発事故は終わっていない。そして、新型コロナウイルスという新たな問題も抱えている。東京オリンピックの開催延期が決まった2021年は、福島第一原発事故から10年に当たる。これまでに述べたとおり、原発事故による被害は常に矮小化され、「なかったこと」にされてきた。その傾向は、コロナ騒動が目くらましとなって拍車をかけ、さらに顕著になるかもしれない。

 そもそも、日本は「原子力緊急事態宣言」が解除されておらず、しかも新たな「緊急事態宣言」も出しかねない国だ。たとえ1年延期されようとも、「復興五輪」は、本当に必要なのだろうか。

(取材・文/吉田千亜)


吉田千亜 ◎1977年生まれ。フリーライター。福島第一原発事故で引き起こされたさまざまな問題や、その被害者を精力的に取材している。近著に『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店)がある