新型コロナウイルスで、さまざまな「自粛」が要請されている。学校は休校、博物館や美術館、公共施設も閉鎖され、多くの人が困難に直面している。そんななか、命綱を切られたような思いをしている人々がいる。お酒や薬物依存からの回復を目指す「依存症者」たちだ

自助グループは命綱

 依存症は完治するということがない。いったん依存症になると、お酒や薬と切れていても、一生を依存症者として生きていかなければならない。脳がその快感を強く覚えているからだ。普段は自制心を持ってコントロールできていても、つらいことがあったり、ストレス過剰になると、ついお酒や薬に手を出してしまう。意志が弱いからではない。依存症がそのような「病気」だからだ。たとえ10年、20年とお酒や薬から離れていても、たった1回の飲酒や薬物摂取で、ぶり返してしまう大変な病気なのだ。

「もう絶対しません」と宣言してもなんの役にも立たない。「きょう一日は、薬や酒に手を出さないでおこう」という一日一日の積み重ねが「回復」につながる。お酒や薬物の誘惑との闘いは一生続く。彼らは「日々、自分自身と闘っている勇者」なのだ

 しかし、そんな厳しい戦いを、自分ひとりで乗り切ることはむずかしい。理解者による支援が必要になる。もちろん、家族は大きな力になるが、その家族が、当の依存症者にさんざん苦しめられてきたために、理解されるどころか、拒否されることも多い。

 そこで必要になってくるのが、仲間の存在依存症からの回復を目指す人々のために、さまざまな「自助グループ」がある。参加することで、ともすればまた手を出してしまいそうになるところを、仲間に支えられて乗り越えていく。よもや失敗して手を出してしまっても、仲間たちは温かく受け入れてくれる。だからこそ、そこからまた立ち上がり、最初の一歩からやり直せるのだ。

 依存症者のためのさまざまな自助会がある。断酒会や、アルコール依存者のためのAA(アルコホーリクス・アノニマス)や、薬物依存者のためのNA(ナルコティクス・アノニマス)、薬物依存からの回復を目指す人が共同生活をしたり通所するダルクなどがそれだ。

 そんなグループに欠かせないのが「ミーティング」。互いの体験を語り合い、分かちあう。基本は言いっぱなしで、聞きっぱなしだ。途中で口をはさんだりはしない。否定もしない。話者が安心して話せる場を作る。

 先輩たちの語りを聞いていくうちに「依存症で苦しんできたのは自分だけではない」と知り、少しずつ心を開くことができる。回復した仲間の様子を見て、お酒や薬物から手を切る生き方ができるのだと知り、回復した自分自身をイメージできるようになる。人は、人の輪の中で癒され、少しずつ回復していく。

 そんな彼らにとって、今回の新型コロナウイルスによる痛手は大きかった。公民館など、集会のできる場所が閉鎖されてしまったために、ミーティングが開けなくなってしまったからだ。ツイッターからも「自助グループは命綱」「コロナで死ぬよりも、薬物の再使用や再飲酒によって死ぬ確率のほうが高い」「助けて」という悲鳴のような声が聞こえ、彼らはいま、大変な試練にあっている。