ちいせえクセに味が濃いな

 1990年代後半、最初に手がけた西洋野菜が、ルッコラだった。

「当時、珍しかった輸入野菜でルッコラっていうのがあると知ってね。国内でも種が手に入るっていうから、作ってみようと」

 種を蒔くと、ひと月もしないうちに、たわわに育った。さて、これをどうするか。浅野さんは出入りしている野菜のバイヤーに、サンプルを託した。すると、驚くほどに反響があった。

「東京のレストランを何軒か回ってもらったら、名店と呼ばれるイタリアンやフレンチのシェフが、仕入れたいと飛びついてくれたんです」

 それも、取引を希望したのは、『リストランテ・ヒロ』の山田宏巳シェフや、『アクアパッツア』の日高良実シェフなど、そうそうたる顔ぶれ。

 独自の農法で作られる『味の濃い、西洋野菜』は、一流シェフたちの舌をうならせ、瞬く間に評判になった。

フレンチの三ツ星シェフ、ピエール・ガニェール氏が訪れた際に、餅つきを一緒に行った
フレンチの三ツ星シェフ、ピエール・ガニェール氏が訪れた際に、餅つきを一緒に行った
【写真】浅野さんの色鮮やかな野菜たち

 これを皮切りに、さまざまな西洋野菜に挑戦する日々が始まった。

「シェフが海外から持ち帰った新しい野菜の種を仕入れてね。作り方なんて誰も知らない。わかんないのが楽しいの。1年はとにかく種を蒔いて、見てればいい。ちいちゃいときにつまんで食べたりして、このやろう、ちいせえくせに、味が濃いな、なんて確かめながらね(笑)

 フランスやイタリアにどんな野菜があるのか、海外の本を取り寄せて研究も重ねた。一方、取引先のレストランにも積極的に足を運んだ。

「都会なんかめったに行かないし、地下鉄もよくわかんなかったけど、俺の野菜がレストランでどんなふうに出てくるか知りたかったんだ。そうすると、ほんのちょびっとしか使ってないわけ。てことは、1回に量はいらない。それより、色や形、大きさにこだわって種類を多く作れば、喜ばれるだろうと」

 こうして、多品種、少量栽培で手がける、今の形に行きついた。レストランと直接取引する、独自の販路も開拓。売値も自分で決めた。経営は軌道に乗った。農場は新しい形へと生まれ変わった。

「農業なんて、もともと開拓することが使命だから、こうでなければと決めつけること自体がダメなの。野菜を料理して付加価値をつけるのはシェフ。そのシェフが欲しい野菜を作れば、よろこばれるし、値段も自分で決められる。成功例があれば、作る人も増えて、品質も上がる。それでいいと、俺は思ってる」

 以来20年以上、開拓精神を貫き、西洋野菜を作ってきた。しかし、第一人者となった今も、思いは当時のままだ。

「まだまだ知らない野菜はいくらでもある。だから楽しい。次はどんな野菜を作ったら、シェフたちは面白がってくれるかな。そんなことを考えながら作ってるんだ」

 浅野さんは、農家を志す人に惜しげもなく、独自の農法を公開している。

「教えるんじゃないんだ。相手が何を知りたいかもわからないし。俺のやり方で、一緒に畑をやって、質問には答える。あとはどう判断するか、任せるってこと」

 来る者は拒まず。多くの志願者を受け入れてきた。