二重の介護と広がるファミリー

 現在、スペインで日本の野菜を生産し、レストランに出荷している、農家・二見英典さん(38)も、そのひとり。

 2014年、スペインに渡る前の3か月間、浅野さんのもとで研修をしたという。

「通いで毎日、浅野さんと畑に出て、野菜や肥料のことを教わりました。畑だけじゃなく、コンビニにまでくっついて行ったほどです。片時も離れなかったのは、浅野さんの目線や、ものの考え方も吸収したかったからです」

 農業は自然が相手だ。予期せぬ自然災害で痛手をこうむることもある。昨秋、千葉県を襲った台風15号でも、浅野さんの畑は浸水し、多くの作物が被害を受けた。

「畑が池みたいになって、何日たっても水が引かないから、ポンプを買ってきて吸い出してね。白菜は全滅かと思ったら少し残った。これが生命力が強くて、ひと味違う」

 そう、被害を受けても、一喜一憂することはない。そこには、自然を相手にする者の覚悟が見て取れる。

 二見さんが話す。

「スペインで農業をすると決めたとき、友人や知人は、見知らぬ国で農業をやるなんて無謀だと言いました。だけど、浅野さんは『いいね。楽しみだ』と前向きに応援してくれた。多くのことを乗り越えてきた浅野さんの言葉だから、心に響いたし、背中を押してもらえました。自分なりに覚悟を決め、スペインに渡って5年。おかげで今、妻と2人、根をおろしています」

楽しそうに昔話をする姿は、まるで好奇心旺盛な少年のよう 撮影/齋藤周造
楽しそうに昔話をする姿は、まるで好奇心旺盛な少年のよう 撮影/齋藤周造
【写真】浅野さんの色鮮やかな野菜たち

 浅野さんは、自身の畑だけでなく、必要とあらば、地方にも出向く。東日本大震災で津波の被害を受けた仙台の畑にも、新幹線で通った時期がある。

「海水の塩に浸かった土だからできる、シーアスパラっていうのがあってね。何もつけなくてもうっすら塩味がするの。それを育てたらいいんじゃないかと、3年くらいかけて、一緒に作ったんだ」

 なぜそこまでするのか。そう問うと、浅野さんはさらりと言った。

「多くの人とつながれば、俺の野菜があちこちで引き継がれる。それがうれしいの。うちは後継者がいないから」

 24歳で見合い結婚をして、50年以上がたつ。

 浅野さんは、「なれそめ?そんな大昔のこと忘れちゃったよ」と煙に巻きつつ、「ばあさんは、人生最大の失敗は、俺と結婚したことって言うかもしれないな」と笑う。

 ともに畑をする妻・正江さん(75)がほがらかに話す。

「あの人、家の中では無駄口しないの。俺は俺、ってタイプだから。でも、芯は優しい人。私、このとおり腰が曲がって、外出先で不自由なときがあるんだけど、いつだって手を貸してくれます」

 2人の息子にも恵まれ、夫唱婦随で農家を営んできた。そんな夫婦に、思いもよらぬ出来事が起きたのは10年ほど前のことだ。

 浅野さんが話す。

「跡継ぎだった長男が、脳梗塞をやってね。今も重いマヒが残ってる。長男の子どもも、生まれたときから障がいがあるから、うちは2人の介護をしてる。デイサービスや福祉の世話になりながら。逆転だもん。介護するほうと、されるほうが」

 そこまで話すと、吹っ切るように言葉を足す。

「なったもんはしょうがない。農家は自分の代で終わりってこと。だから、いろんな人たちに、(俺の野菜を)継いでもらって、それぞれの場所で育つといいと思ってる」

 正江さんが話す。

「せがれが脳梗塞になったとき、私たち夫婦の人生も失われたような気がしました。でも、研修生や大勢のシェフが、息子や孫のようにお付き合いしてくれる。それが、あの人の生きがいなんです」