毎年、紀子さんが失踪した11月24日に両親はビラ配りをして情報提供を求めているが、「紀子はたぶん死んでいると思います」と父の泰晴さん。「今どんな状態でいるのかそれだけが気がかり」と無念の思いを口にした
毎年、紀子さんが失踪した11月24日に両親はビラ配りをして情報提供を求めているが、「紀子はたぶん死んでいると思います」と父の泰晴さん。「今どんな状態でいるのかそれだけが気がかり」と無念の思いを口にした
【貴重写真】若き日の辻出紀子さん、旅先で撮影した写真や実際に使用していた取材ノートなど

無罪判決で国を提訴

 風俗業の女性監禁容疑で逮捕されたA氏は、警察の取り調べに、辻出さんと会った現場の状況について時折口を開いたが、「調書の作成には一切応じなかった」(元刑事)という。 

 以降、A氏は「弁護士から黙秘するよう言われているので」と、完全黙秘の姿勢を貫いた。県警が実施しようとしたポリグラフ検査にも、弁護士を盾にやはり応じなかった。

 その後、この事件をある意味で左右する事態が起きる。

 監禁事件で津地裁は、A氏に対して無罪を言い渡したのだ。元刑事が回想する。

「風俗業の女性が被害に遭った日を間違えて証言した。その不審点を弁護士に突かれてしまったんです」

 A氏は即日釈放され、弁護士を通じて刑事補償を請求した。そして津地裁の決定により、約3000万円の交付を受けた。しかしこの補償額では不服だったのか、A氏はさらに、元刑事を含む捜査員3人に対し、取り調べ中に「頭を平手で軽く叩かれた」などとして、特別公務員暴行陵虐・同致傷容疑で津地方検察庁に告訴。国に対しても「不法に身柄を拘束されるなどして多大な精神的苦痛をこうむった」と約3000万円の損害賠償請求訴訟を起こした。

 元刑事が苦虫を噛みつぶしたように語る。

「刑事補償を求められるのは警察にとって不名誉なこと。だから県警の上層部から、A氏には2度と触るなというお達しがあったんです」

 告訴と国賠訴訟についてはその後、A氏はどういうわけか取り下げた。

 一連の法的手続きをサポートした弁護士は今も現役だ。

 なぜ、取り下げる必要があったのか。

 所属する法律事務所に電話を入れた。事件の話を持ち出した途端、弁護士は明らかに動揺した声色に変わり、こう突っぱねた。

「守秘義務があるから、事件のことをお話しするつもりはありません。2度と電話をかけてこないで」

 私は食い下がり、取り下げの理由を尋ねたが、同じ返答を繰り返すばかりで、電話を切られた。

 弁護士は当時、辻出さんの両親にあて、「A氏から」としてこんな文書を送っていた。

「東京の件で私が無罪判決を勝ち取り、かつ警察や検察が、私が伊勢の件で無関係であると信じてくれるならば、何時間かかっても私の知る限りのことをお話しします」

 A氏と対面した私は、この文書のコピーをポケットに忍ばせていた。

 玄関のドアを少し開けたA氏に向かって、私が身分を明かした途端、彼は何も言わず、いきなりドアを閉めようとした。辻出さんの事件についてはまだひと言も触れていない。私がメディアの人間だとわかっただけで、条件反射的に反応したのだ。私も瞬時にドアを手前に引き、辻出さんの事件について説明を始めると、またもやドアを閉めようとする。再び、こちらも引っ張ると、A氏は小声でひと言、発した。

「話はないんで」

「無罪になったら話をするって言いましたよね?」

「話はないですって。敷地に入らないでください」

 声を荒らげるでもなく、妙に落ち着き払ったように話すA氏。家の中にいる妻や子どもに配慮してのことか。

「辻出さんと最後に会ったとき、何を話したんですか?」

「話はないです。早く出てください」

 そんな押し問答のようなやりとりが続いた後、A氏はドアから外に出てきて、私を追い払おうとしてきた。これ以上問い詰めても何も話さないだろうと、その場を辞した。

 この一部始終を美千代さんに伝えると、強い口調で、こう返ってきた。

「本当にやましいことがないのであれば、正々堂々とお話をすればよい。お話をしないのは絶対におかしい!」

 このメッセージを添えた手紙をA氏に送ったが、1か月以上が経過した現在も梨の礫(つぶて)である。

(取材・文/水谷竹秀)

※捜査を担当した元刑事の発言について一部加筆修正しました(2020年6月5日10時30分更新)


【辻出紀子さん失踪事件の情報提供をお待ちしています!】
​心当たりのある方は、伊勢警察署まで(電話:0596-20-0110)

【プロフィール】
水谷竹秀(みずたに・たけひで) ◎ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。