ユーミンは、'74年に『荒井由実とパパレモン』として荻窪のロフトに出たことがあります。松任谷正隆と細野晴臣のバンド『ティン・パン・アレー』のコーラスグループの1人としても参加していました。ほかには吉田美奈子、大貫妙子、矢野顕子という豪華なメンバー。でもステージに入り切らないから、コーラスの4人はお酒を作るカウンターの中で歌ったんですよ

 とにかく手を焼いたのはデビュー前から面倒を見ていた氷室京介布袋寅泰らの『BOOWY』だった。

元暴走族というだけあって、メンバーの目はギラギラして飢えた、カミソリみたいな印象でしたね

氷室と布袋を怒鳴りつけた!

 氷室と布袋は仲がよくなかったが、それがいい意味で緊張関係を生んでいたとも。

布袋はほかのミュージシャンとも酒を飲んでワイワイしていましたが、氷室は酒を飲まないから、ライブが終ったら帰っちゃう。自然と氷室が仲間はずれになって

 大事な大手レコード会社へのプレゼンにもメンバー全員が1時間以上遅刻することもあったが、平野さんは根気よく彼らをサポートし、レコーディングにもかかわった。ところが、彼らから聞こえてくるのは、ブレイク前なのに“解散”の話ばかり。

私は氷室と布袋に怒りましたよ。“お前らが育つために、どれだけの人が苦労したか、わかるか!”って。それなのに2人が不仲だから“解散だ”なんて許さない、と。まあ、女の問題とか、いろいろ複雑でしたが。それで私は“もういい加減にしろ!”って怒鳴って、海外へ飛び出した

 '84年に平野さんは世界放浪の旅に出る。BOOWYはその後も解散せず、大ブレイクを果たす。結局、'88年に東京ドーム公演をもって解散した。

氷室と布袋は一緒にやるのは嫌だったけど、すぐに解散はしないで、タイミングを見ていたみたいだね