コロナ禍で多くの人々が不安を抱えている昨今。全力俳優・原田龍二は、「自粛期間のおかげで、あらためて世の中や自分を見つめ直すことができた」と語る。

 今回、そんな原田と言葉を交わすゲストは、大相撲元関脇の貴闘力だ。栄華と苦悩の道をひた走ってきた元力士の目に映る景色とは─。

◆ ◆ ◆

“ゴミ以下だ”と言われ、月の給料は1万円

原田 今日はよろしくお願いします。僕自身、相撲が大好きで、貴闘力さんの現役時代はもちろん、プロレスの試合も拝見していました。お会いできてうれしいです!

貴闘力 プロレスも見てくれたんだ(笑)。もちろん、原田さんのことは知ってるけど、若々しいから40代前半だと思ったら、俺と年が近いんですね。

原田 はい。貴闘力さんよりも少し年下の49歳です。この連載のテーマは“反省”ですが、今日はぜひ、厳しい世界で関脇に上りつめるまでのお話もお聞きしたいです。

貴闘力 俺の相撲人生は小学校6年のときに先代の貴ノ花親方のところに転がり込んだのが始まり。体験入門で少し部屋に置いてもらって、中学を卒業してすぐに、藤島部屋に入門したんですよ。現役引退後は大鵬部屋付きの親方になって部屋を継ぎました。力士としては、王道をずっと走らせてもらえたから、すごく勉強になりましたよ。

原田 親方が入門された当時の相撲部屋は、とても厳しいイメージがあるんですけど、どんな生活だったんですか?

貴闘力 今だったらパワハラで訴えられるけど、入門すると、まず親方に「ゴミ以下だ」と言われて、相応の扱いを受けるんですよ。30人の若い衆が、50畳くらいの部屋で布団を並べて共同生活。ひとりがインフルエンザにかかったら、同室の力士全員がインフルエンザになるような劣悪ぶりだったね。しかも、月の給料は1万円だけ

原田 月1万円ですか!?

貴闘力 そう。食事と部屋だけは確保されてるけど、自分の給料は1万円だから、新品のパンツを買うのも躊躇する金額ですよね(笑)。

原田 それがイヤなら、強くなって大部屋を出るしかないってことですよね。生活の中でハングリー精神を育むんだ。

貴闘力 そうそう。金がないからギャンブルもできないし、練習をするしかない。当時は「腕が1センチ太くなった」とか「来週は焼き肉をおごってもらえる」とか、小さな幸せを拾いながら過ごしてました。

原田 とても前向きですね。