名曲を残していった歌手編

 最後は、歌手編。おバカタレントとして再ブレイクしたために、演歌歌手としてのアイデンティティーが揺らぎ、引退したのが香田晋だ。

精神科にも通っていましたから。バラエティー番組では明るく振る舞っていたけど、僕の心の中はズタズタで」(『週刊女性』)

 その後、飲食店経営を経て、現在は僧侶になっている。

 また、バンドなど音楽グループの場合、解散によって全員もしくは一部メンバーが引退することになりがちだ。女の子バンド・ZONEは2005年に解散。その後、再結成されたこともあったが、活動中なのはMAIKO(現・MAI)のみである。今年6月、妊娠したことがニュースになった。

 そして、ここ数年、最もインパクトのある引退をしたのが安室奈美恵だろう。2017年9月、40歳の誕生日に1年後の引退を発表。『NHK紅白』での歌唱で瞬間最高視聴率を記録するなど数々の伝説を作り、芸能生活の有終の美を飾った。

 が、彼女の心に引退の2文字がよぎったのはこのときが初めてではない。1999年に実母が義弟(母の再婚相手の弟)にあたる男性に殺害された際《もう歌うことも『安室奈美恵』でいることもやめたいと思った》と振り返っている。

 彼女は一時期、母の命日や息子の名前をタトゥーにしていた。無残なかたちで死別した母と、シングルマザーとして育てる息子のことは何より大事なのだろう、それが2年前の引退にも影響を与えたのではないか。

 というのも、彼女の決断は、もうひとりの伝説的歌姫の引退を思い出させるからだ。その歌姫とはちあきなおみ。『喝采』で日本レコード大賞にも輝いた名歌手だが、1992年、夫が病死したことを機に、芸能活動を停止し、表舞台にもいっさい登場しなくなった。

 ちなみに『喝采』は恋人を亡くした歌手の哀しみを描いた曲。ちあき自身にもその時点で似た経験があり、歌うことに抵抗を示したという。そこに、最愛の夫の死まで加わったことで、彼女は人生を切り売りするような歌手という仕事に、耐えられなくなったのかもしれない。

 安室の場合も、母が殺された12日後に生の歌番組に出演。そんな歌手としての生き方に疲れ、本当の幸せについて自問自答を繰り返してきたのではないか。その結果、たどりついたのが40歳を区切りに公人としての歌手をやめ、私人として生きるという選択だったとも考えられる。

 そんな安室やちあきの引退は、哀しくも美しい。冒頭で、美しい引退の条件に「惜しまれ続けること」と「スキャンダラスでないこと」を挙げたが、もうひとつ加えてもよさそうだ。それは、「本当の幸せのための決断であること」である。

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。