襲撃事件と銃弾の衝撃が原点

 考えてみれば、手離れの悪い仕事だ。「密漁品のアワビが売買されている」というひと言を聞き出すために、築地で4か月間アルバイトをしたこともあった。

 小学館の担当編集・酒井裕玄さん(39)は、当時を次のように振り返る。

築地の話は1章分にしかなっていないわけですから、効率の悪さが尋常じゃないでも、かけた熱量みたいなものって、絶対、読者に伝わるんですよね。見張りの話も鈴木さんから『どうしようか?』と連絡があったので規範的にNGを出しましたけど、『こんな話があったけど断っちゃいました』と先回りしないのが鈴木さん。

 とはいえ、自分の中に倫理的なラインがきちんとあって、これを載せたら話してくれた人の立場がなくなるからと、ボツにしたネタもあるんです

築地で働いていたころ。「観光客の人がいっぱいいて、女の子に『ターレー乗ってく?』と言って断られたことなかったもん(笑)」 撮影/古賀大郎
築地で働いていたころ。「観光客の人がいっぱいいて、女の子に『ターレー乗ってく?』と言って断られたことなかったもん(笑)」 撮影/古賀大郎
【写真】「心から信頼できるヤクザ」だという組長と鈴木さんの貴重なツーショット

 納得のいくものを書いてほしいが、築地の章が入っている以上、豊洲の開場までに発売に漕ぎつけたい。原稿のデッドラインを定めた酒井さんは、ときに懇願し、ときに激ギレしながら原稿の催促を続けたようやく最後の原稿が届いたとき、豊洲開場は目前に迫っていた

「酒井さんには『博士になるつもりですか!?』と言われました。もし、締め切りがなかったら、あと5冊書けるぐらい取材に時間をかけていたと思います」(鈴木さん)

 いまや暴力団関連記事のオーソリティーとなった鈴木さんだが、端(はな)からライター志望だったわけではない。父が写真薬品などの製造販売を行う会社にいた関係で、周りにアマチュアカメラマンが多く、自身も子どものころから写真を撮るのが好きだった。

 高校生のときにNHKの番組を見て、戦場カメラマン・沢田教一の存在を知る。それを機に、「将来は報道カメラマンになりたい」と日本大学芸術学部写真学科に入った。

日大の写真学科の学生だったころ。「大学1年生のとき、バイクで事故ってひざの下を割ったことがあるんです。当時は保険証がなくて、自分で10針ほど縫いました」
日大の写真学科の学生だったころ。「大学1年生のとき、バイクで事故ってひざの下を割ったことがあるんです。当時は保険証がなくて、自分で10針ほど縫いました」

 1年生のときはウマの合う先生が写真基礎の担任だったこともあり、授業に出ていたが、徐々に学校から足が遠のいた。この当時から30年にわたって付き合いがあるのは、広告制作会社勤務の荒木孝一さん(55)だ。

「鈴木とは一緒のクラスだったんですけど、とにかく学校で見かけたことがなかった。ある夜、もうひとり同じクラスのやつとウチにやってきて、『一緒にクルマで九州に行こう』と言うんです。いきなりですよ? こっちからしたら『お前は誰だ?』って話ですよね(笑)。結局、九州には行きませんでしたけど」