ネットでの誹謗中傷は
母親へ集中

 先の新座市のコンビニで女児を産み、放置した女性Aさんに対しては、のちにさいたま地裁で公判が開かれた。Aさんは実家で両親と暮らしながら、金銭を得るためにインターネットで知り合った男性たちと性交渉を重ねていた。

 そんな生活の果てに妊娠が判明したという。心当たりのある男性は3人いたが、いずれも連絡がつかなかったのだそうだ。中絶費用は一人では捻出できなかった。

 そんな事情が報じられるやいなや「ネットで知り合って性交渉して妊娠とか頭大丈夫?」「なぜ父親のわからない子どもを産もうと思うんだろう」「中絶費用も用意出来ない人がどうやって子ども育てるの?」「産み棄てた時点で母性本能ない」など、Aさんへの批判がネット上に集中した。

 ところが不思議なことに、子どもの父親の可能性のある3人の男性について「ネットで知り合って性交渉して妊娠させるとか頭大丈夫?」「連絡つかなくなる時点で責任感ない」という批判は見当たらなかった。

 出会い系アプリで出会い、その場限りの性交渉ののちの妊娠、または不倫の末の妊娠、結婚など考えていなかった相手との妊娠……結婚相手以外との望まぬ妊娠には、さまざまな事情が横たわる。

 貧困や知識不足などから手術もできないまま、ときに産婦人科を受診することもないまま、人知れずトイレなどで出産に至ることが実際にある。そんな彼女たちを「母親としての責任がない」と責めるのは簡単だ。

 しかし、トイレなどでの出産という悲しい結末は、それまで彼女たちが、父親である男性との話し合いもままならず、自分の友人や家族にも打ち明けられない状況にあったということも示してもいる。

 先述のとおり、子どもは女性一人で作れるものではない。Aさんが仮に3人の男性との性行為の際に避妊をしていようと、妊娠の可能性はある。だが男性たちは“もしも”の場合に備え、Aさんと連絡がつく状態を維持していなかった。

 産み捨てという結果に至ったことについては、女性のみならず、男性側にも当然、責任がある。たとえその時限りの関係だったとしても、自分の行動には大きな責任が伴うことを自覚してほしい。

 いまもAさんの妊娠や、自分の子どもかもしれない赤ちゃんがトイレで産まれたことも知らぬまま、Aさんと性交した男性らはどこかで暮らしているのだろう。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
1974年、福岡県出身。殺人事件の取材や公判傍聴を通して記事を執筆する、傍聴人・フリーライター。著書は『つけびの村  噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)ほか。