時間が止まった現場

 コンクリート製の玄関のたたきに、黒く変色した血痕がこびりついている。その血痕でできた、幾十にも重なる靴跡を見つめながら、悟さんが静かに言った。

玄関に残る血痕。幾十にも重なる靴跡が生々しかった
玄関に残る血痕。幾十にも重なる靴跡が生々しかった
【写真】玄関に残る、生々しい血痕

これが犯人の靴跡です。サイズは24センチ。最初は妻の血だと思っていたのですが、事件発生から数年後に犯人のものとわかり、自分の血が毎回報道で流されたらプレッシャーになるだろうと、今まで部屋を借り続けてきました
 
 名古屋市西区の閑静な住宅街にある現場アパート。悟さんは現在、市内の実家に住んでいるが、現場保存のためだけに家賃を払い続けている。その総額は1948万円だ。
 
 リビングのカレンダーには、
〈むしバ 母子手帳 タオル ハブラシ 720円〉
 
 と奈美子さんのボールペン字が書き込まれたまま。

アパートに配達された21年分のチラシ
アパートに配達された21年分のチラシ

 家族3人の写真が入った置き時計、食卓、化粧台、奈美子さんの赤い羽織、電話機、おもちゃ……。事件発生時からそこは、まるで時間が止まっているかのようだった。
 
 奥の和室には、ポストに投入されたチラシが山積みされ、「21年」という時間の重みを感じさせる。
 
 息子の航平君は23歳になり、現在は東京の広告会社で働く。事件当時は2歳だったため、記憶は全くない。悟さんが心境を吐露した。

「奈美子には子育てをさせてあげたかったんです。でも、こうなっちゃったので、私が代わりに一生懸命やってきたつもりなんだけど、奈美子から合格点もらえるかな」
 
 幸せな家庭が一瞬にして悪夢に変わった未解決事件。奈美子さんはなぜ狙われなければならなかったのか─。
 
 友人たちが語ったように、奈美子さんの周囲に、妬みや反感を持つ人物がいたのだろうか。はたして、それだけで人を殺めてしまうのか。
 
 そもそも妬みによる殺人という偏向報道によって傷ついた家族と友人。フジテレビに番組の意図を尋ねると、「被害者の人物像を描く際に一部配慮に欠ける表現があったため、関係者の皆様にお詫びしました」と述べ、ホームページに掲載した謝罪文と同じ回答しか得られなかった。
 
 真相は闇に包まれたまま、事件発生から21年目を迎える今年もまた、悟さんは関係者とともに名古屋市の街頭に立ちチラシを配り続ける。

●水谷竹秀●ノンフィクションライター。1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。

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