(左から)元・キャンディーズの伊藤蘭、藤村美樹
(左から)元・キャンディーズの伊藤蘭、藤村美樹
【写真】田中好子さんの葬儀に参列した伊藤蘭と藤村美樹

 伊藤も藤村さんも田中さんの死を看取った。田中さんが危篤状態に陥り、それを夫で実業家の小達一雄氏(65)が「身内だから」と2人に知らせると、そろって病院に駆け付けた。その後、田中さんが旅立つまで約7時間にわたって声を掛け続けた。

 田中さんの生前は伊藤の家などに3人が定期的に集まり、おしゃべりに興じていた。それを伊藤の夫である水谷豊(68)は笑顔で眺めていたという。水谷にとっても幸福な時間だったようだ。

 3人は隠しごとのない仲だったというから親しさは本物。田中さんは伊藤に乳ガンであることも亡くなる3年前の2008年の段階で打ち明けていた。心配のあまり凍り付いた伊藤に対し、田中さんは「頼りになるお医者さまが付いているから大丈夫」と微笑んだという。

絶品と評判だった3人のコーラス

 仲がいいのは芸能界入りした直後から。3人はデビュー前には大手芸能事務所・渡辺プロダクション系のスター予備軍「スクールメイツ」に所属していたが、その時点で既に意気投合。同じ夢を持つ親友同士のような関係だったという。1973年、田中さんがメーンボーカルで、『あなたに夢中』でデビューした後もそれは変わらなかった。

 グループに激変期が訪れても関係は変わらず。『危い土曜日』(3枚目のシングル、1974年)などスマッシュヒットは出ていたものの、伸び悩んでいたため、メーンボーカルが伊藤に替わることになったのだ。今で言うと、センターの交代で大ごとだが、これに田中さんは一切不満を漏らさなかった。

 伊藤がメーンボーカルになった5枚目のシングル『年下の男の子』(1975年)は初めてオリコンの週間チャートでベストテン入り(8位)。田中さんも藤村さんも大喜びだった。このヒットによってNHKの紅白歌合戦への初出場も果たす。以来、3人はトップアイドルであり続けた。

 キャンディーズの魅力は歌のうまさにもある。3人は今のアイドルでは珍しいコーラスグループ(合唱、それぞれの担当を歌う)。現在のグループアイドルの歌唱法は大半がユニゾン(斉唱、全員が同じ旋律を同じ高さで歌う)である。

 どちらにも良さはあるが、キャンディーズのコーラスは絶品と評判だった。美しかった。スクールメイツで正しい歌唱法を習得していた上、仲がよかったので息が合ったのだろう。コーラスで歌うのは簡単ではないはずの『哀愁のシンフォニー』(12枚目のシングル、1976年)や『アン・ドゥ・トロワ』(15枚目、1977年)なども難なくこなした。