4年間、2億円かけて実用機が完成

 そこから試行錯誤の日々が始まった。

「会社の仲のいい技術者のところに行って、“実はこうしたことがやりたいんだけど、力を貸してくれ”と言ったんです。すると、試作品作りの開発会社・D社を紹介してくれた。社長と女性のほぼ2人で経営の、神奈川県川崎市にある小さな町工場でした」

 と、片瀬さん。D社に依頼したのは、運転席のフロントに設置するカメラと記憶媒体の一体型装置。事故の様子を記録する記憶媒体にはメモリを使うことにした。この装置に、事故前12秒と事故後6秒を記憶させようというのだ。

 長年にわたる事故調査や鑑定の経験から「(記録される秒数が)それぐらいで十分ではないかと考えました」と、大慈彌さんは話す。

 1999年秋、ドライブレコーダーの開発が本格始動した。当時、メモリの容量は最大でも64メガあまり。写真のパノラマサイズ(89×254mm)の容量が1メガほどというから、ちょっとしたサイズの写真ですら64枚しか残せない計算になる。

 これでは事故検証をするうえで必要な連続映像などの記録は、メモリ容量が足りず不可能だ。そのため1秒間に5コマ撮影できるように工夫した。

 記録の仕組みは、64メガのメモリカードAとBの2枚用意、トリガーをはさんでつなげる方法をとった。メモリAは1秒5コマの割合で常に録画と上書きを続けるが、事故が起きて衝撃を受けるとトリガーが起動。メモリAに記憶されていた事故前12秒と事故後6秒間の記録がメモリBに転送される。万一のときは、それをパソコンで確認するというものだ。

 2年後の2001年4月、およそ600万円の予算をかけて試作品が完成した。

試作機(左)の改良や実証実験などを重ね03年、右のドライブレコーダーがついに完成 撮影/近藤陽介
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 今でこそ記録されるコマ数はより多くなり、記録時間も飛躍的に増え、映像として撮影する機種も珍しくないが、ドラレコの原型は、このスタート時点ですでにできあがっていたといっていい。

 大慈彌さんが「やっとできたか」という思いで試作機の画像を見ると、いま市販されているレコーダーとも遜色ない。「これならいける」と片瀬さんもひと息ついたが、いざ販売するとなると、レンズの性能は十分か、システムがきちんと動くかなど、実用に足るものか検証しなければならない。そうなると数千万円単位の費用が必要だ。

 ここで大慈彌さんが、資金面でひと肌も二肌も脱ぐことになる。開発費に私財を4000万円も投入したのだ。大慈彌さんは「金額でいうと、販売までに2億円ほどかかっていますね」と、こともなげに言う。

 '03年12月、2億円の予算を投じた実用機『Witness』が完成。これを片手に大慈彌さんがタクシー協会を通じて働きかけたところ、大阪タクシー交通共済がタクシー5000台への搭載を決定。さらに東京のタクシー会社・練馬タクシーは全車へ搭載することに。

「タクシーが事故に直面すると、タクシー側の過失を疑われることが多かった。本当に自社タクシーに非があるのかを知りたい、何かその手段はないものか、と探していたところだったそうです」

 と、大慈彌さん。片瀬さんは「ともかく事故を記録することだけを考えていました。ところがタクシー会社では、記録した画像を安全教育に使ったというんです」と、驚いて話す。

 時速30キロ制限の道路を40キロで走っていたり、一時停止をしていなかったり……。練馬タクシーではドラレコの記録を通して、人間の認識がいかにいい加減かを目の当たりにした。それによりドライバー同士で議論が起こるなどして、結果、重傷事故が搭載前に比べ7割も減ったという。

 ありのままを映し出すドライブレコーダーがもたらした、予想外の収穫であった。