東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の新会長に就任した橋本聖子。しかし、就任するや否や“7年前の黒歴史”が掘り起こされてしまった。

 その過去とは2014年にソチ五輪の打ち上げパーティーでフィギュアスケートの高橋大輔にキスをする“セクハラ行為”に及んだというもの。嫌がる高橋を前に1回や2回でなく「一度はじまったら収拾がつかない」ほどの熱烈ぶりだったという。現在も国際大会の会長に選出された彼女への追及は止まず、浅田真央に安倍晋三元首相との“ハグを強要”していた過去も報じられることに。

 改めて高橋大輔とのキス写真を確認してみる。よくもこんなに多くの人に囲まれているなか堂々とやったものだ。パシャパシャと写真を撮られるなか、周囲が引くくらいの濃厚ぶりをみせつけたあと、「口外しないように」と釘をさしたらしい。酒の力と当時の選手団会長という立場を利用した、まごうことなきセクハラ&パワハラである。要職に就くと私利私欲のために権力を行使してしまう習性は男女平等か。

 聖火にちなんで聖子と名付けられ、スピードスケートと自転車競技で夏冬あわせて7度の五輪に出場。オリンピックにすべてを捧げたストイックさから「五輪の申し子」と呼ばれた橋本聖子セクハラの一件が発覚する前の彼女といえば、選手と議員を両立させたり、結婚後は6人の子の母(うち3人は夫の連れ子)として育児もこなすママ議員のパイオニア的存在だった。産休を制度化させたことをはじめ、さまざまな政策にも取り組んできた。

 そんな彼女がなぜ大セクハラを働いたのか。今更ながら考えてみたい。その一因に彼女の、自らに対して“抑圧を課してきた半生”があるのではないかと思う。

ボーリングのピンを倒さないと殴る父

 橋本聖子、1964年北海道生まれ。父が家に帰ってきたら三つ指をついて「おかえりなさいませ」と出迎えなけばならないほど厳格な環境に育ったという。ボーリングの大会に親子ペアで出場すればまず一投目を投げるのは父で、子どもだった彼女が2投目の“スペアを狙いに行く”役まわりだったようだ。それでいて、ピンを倒せないと殴られたそう。実に不条理である。のちにインタビューで「父との生活で教えられた厳しさ以上につらいことはありませんでした」とも語っていた。

 スケート選手を目指しはじめてから、より一層日常はストイックに。身長156センチ、自力で酸素を吸うことが困難な「呼吸筋不全症」を患い、肺活量も少なかった彼女は尋常じゃない努力を重ねる必要があった。スクワットで150キロをあげるほどの超人になったかわりに失ったものは、いわゆる“普通の生活”と呼ばれるものであろうか──。

《私、映画が大好きだったんです。と言っても、社会人になるまで映画館には行ったことありませんでした。スケート選手は映画館や喫茶店に入るべきではないと思っていたんです》(『週刊現代』2003年11 月8日号)

 なぜスケート選手は茶をしばくことさえ許されないのか、理屈は全くわからない。逆になぜボーリング場はアリだったのかも気になるが、ともあれ、同学年の女子と大きく異なった生活ぶりだったことがわかる。