「もう、負け犬とレッテルを貼られたような感覚でした。そうして入った中学ではいじめに遭い、校則など不条理なことにもすごく腹が立って、こんな中学はおかしいと、不登校になっていったんです」

 そして石井さんは、フリースクールの「東京シューレ」に通うようになった。

「13歳から19歳まで6年間通っていました。当時のスケジュールは、朝11時くらいに起きて、お昼過ぎにフリースクールに行く。夕方の6時くらいまでみんなで話したり、体験学習したり、麻雀したりしていましたね」

 フリースクールには授業のようなものはない。いくつものスケジュールがあり、その中から子ども自身が好きなものを選ぶのだ。

「私の場合、“イベントを作る”というのをよくやっていました。企画して準備して、その運営にも取り組んで」

 フリースクールでは、子ども自身が「学び」だと思うものは、すべて「学び」になるという考え方をする。

「おもしろかったのは、その“学び”が発展していくこと。みんなで民族音楽にハマったことがあるんです」

 バラエティー番組『タモリ倶楽部』でやっていた民族音楽にヒントを得て、石井さんたちは、まず民族音楽のCDをたくさん借りてきて、「民族音楽講座」を開催した。

「民族音楽講座をやっているうちにおもしろくなってきて、今度は“民族料理を食べに行こう”となり、沖縄料理店に行ったんです。すると店のおばあちゃんが戦争の話をしてくれた。沖縄戦のことは、なんとなく知っていたような気はするんだけど、生の話を聞くとビビッときたんですね。これは大変なことだと。

 “実際に現場に行ってみたいね”となって、沖縄旅行を計画して、フリースクール全体で“戦争の歴史を学ぶ旅行”に発展していきました」

不登校が始まった中学時代(前列右から2一目)。その後、フリースクールとの出会いで自ら学ぶ機会を得た
不登校が始まった中学時代(前列右から2一目)。その後、フリースクールとの出会いで自ら学ぶ機会を得た
【写真】ボツになった企画の「お墓」

フリースクール時代の友人たち

 現在は製薬会社に勤務する白石有希さん(36)は、フリースクールで石井さんと一緒に過ごした。

「志昂(石井さん)は、行動力はすごかった。髪の毛を辮髪みたいにして、まるで岡本太郎みたいな爆発力でみんなを引っ張っていくやつでした」

 一方で、ヤンチャな部分もあったらしい。

「僕が好きな女の子がいたんだけど、志昂がはやし立てるんです。“この野郎!”と頭にきたことが何度もありましたね(笑)」

 信田風馬さん(39)も、10代のほとんどを石井さんと過ごしている。

「彼はプロジェクトの企画などで、すごく活発に活動していましたね。でも、その一方ですごく寂しそうで、他人のことを気にする一面もあります。10年も前のことを突然謝ってきたり。ヤンチャだったので、だいぶ大人になったなぁと思います(笑)」