ほかにも印象深いインタビューがいくつもある。最近では、タレントの坂上忍さん。

「インタビューの場で、ひきこもりの女の子が“私、女優になりたいんです。以前、子役もやっていたんですけど、私、女優になれますか? (ひきこもっているのに)なりたいと思っていてもいいんでしょうか?”と聞いたんです。

 すると坂上さんは、結構悩んだすえに丁寧に話してくれたんですね。“思ってもいいんだよ、女優になりたいと。でも、もし本気で思っているならば、自分で可能な限り、できる範囲で動いていくと発見があると思うよ”って」

 この言葉に石井さんは大人のバランスを感じたという。

「私が聞かれたら、なんと言っていいかわからなかったでしょうね。“女優なんてなれないよ”と言ったら本人を傷つけそうだし、“なれるよ”と言い切るのも無責任な話だし……。でも、たくさんの子役を見てきた坂上さんは“可能ならば、いろんなことをして動いてみれば”と、大人だからこその言い方で答えた。あれは感動しましたね」

'12年には文科大臣時代の田中眞紀子氏に独占インタビューを行ったことも
【写真】ボツになった企画の「お墓」

 インタビュー取材というより、まるで人生相談のよう。

「結局、取材になるかならないかではなくて、子どもたちは自分が心底行き詰まっていることを聞くんですね。だから、何が出てくるかわからないんですよ」

 直木賞作家の辻村深月さんの取材でも、忘れられないエピソードがあった。ある子どもが「私はいじめていた人を許せない。それを許さなくていいんですか?」と辻村さんに聞いた。すると辻村さんは、こう話してくれたのだ。

「許さなくていいんです。それを言いたくて、私は(著作の)『かがみの弧城』を書いたんです。そのことを取材してくれる人が誰もいなくて、あなたが初めてだった」

 取材を終えて辻村さんは、本当に緊張したと話していたという。石井さんが言う。

「やっぱり子どもたちが真剣に聞いてくるので、真剣に答えることになるんですね」

中2の不登校から人生が始まった

 いまや名物編集長となった石井さんだが、その原点は中学2年生。「不登校から人生が始まった」と、石井さんは述懐する。

小学校6年生のころの石井さん。すでに万引きが止まらなくなっていた

 石井さんは1982年に東京・町田市で生まれた。父親は建築関係の仕事に従事していた。

 母のすすめもあって、小学5年生から通い始めた塾は、私立中学への進学実績を誇り、そのための極端なスパルタ指導で知られていた。

「塾は週に4回。3回は授業で、土曜日がテスト。テスト結果によってクラスの席順が決まります。ある日先生が、クラスの中央ぐらいに立って“ここから下の成績の人間には人生はない!”と言ったんです」

 その言葉に石井さんは恐怖を覚えたという。ストレスが募り、石井さんは万引きが止まらなくなってしまう。

「6年生くらいから、ほぼ毎日、ひたすら万引きし続けていました。特に罪悪感はなくて、ただただ習慣化していましたね」

 その後、受験に失敗し公立中学へ通うことが決まった。