夫婦別姓、子なし人生の選択

 今では珍しくない夫婦別姓を、八田先生は25年も前に選択した。

「ずっとこの名字で勉強し、働いてきたので、『八田』の名で仕事を続けたかったんです。夫も賛成してくれました」

 出会いは、八田先生が研修医時代のこと。7年の交際を経て“結婚”したのは、開業医になった31歳のときだ。

 整形外科医の夫、徹さんが振り返る。

「研修医時代の真理子は、男性医師の中、女性ひとりで頑張っていました。まあ、そのひたむきな姿に魅かれたんですね。お互い、決まり事に縛られるのは得意じゃないので、夫婦別姓という形にしましたが、ふつうのご夫婦と変わらないですよ。共働きなので、どっちが家事の負担が多いとか、些細なことでケンカするところなんかも(笑)」

スタジオに改装したクリニック2階。エアロビクスのインストラクターとしても女性の身体をサポートしようと計画中
スタジオに改装したクリニック2階。エアロビクスのインストラクターとしても女性の身体をサポートしようと計画中
【写真】10代のころの八田先生、同級生からは「高嶺の花だった」とも

 結婚から25年。「休日は、夫婦別々に好きなことをして過ごす」と、徹さん。

「僕はテニス、彼女はスポーツジムやエアロビクス。それも、『部活か!』ってくらい、打ち込んでます。自分のための時間を使えるのは、子どもがいないこともありますね。子どもがいる人生もいいけど、いない人生も十分にありだと」

 八田先生は、「子どもがいない人生」を積極的に夫婦で選んだと言う。

「研修医時代までは、結婚して子どもは2人くらいいるのが当然だと思っていました。でも、子どものいない人生を決意したのは、人にはそれぞれ役割があると思ったからです。私がすべきことは、自分の子どもをつくることより、医師として患者さんに寄り添い、最善を尽くすこと。

 こんなこと言うと怒られちゃうかもしれませんが、自分の子どもを育てるほうが楽だと今でも思っているんです。でも、あえて医師として患者さんに尽くす試練の道を選びました。ほんと男みたいな性格で、わき目もふらずに仕事をしたかったんです。

 それに、遺伝子的には自分の子どもはいないけど、3000人以上のお子さんの3番目の親だと思って、この仕事をしていますから

 不妊治療で子どもを授かった患者や、妊婦健診でずっと診てきた患者が、いまも更年期症状や検診などでクリニックを訪れる。

「“お子さん、いくつになった? 元気?”から始まり、近況報告を受けると胸が温かくなります。先日も、子どもの就職が決まった、彼女を家に連れてきたとか聞いて、“あんな小さな卵だったのにねぇ~”と、気づけばおばあちゃんの顔に……(笑)。

 かつて父は、“取り上げた子は、みんないい子になってる、悪い子は1人もいない!”と断言していました。私も今、同じように思っています」