300度以上の熱さで燃え盛る高さ3メートルの炎を前にして一心不乱に護摩をくべながら真言を唱える護摩行。100日連続で1万枚以上の護摩を焚き続ける『100万枚護摩行』を達成し、高野山の最高位に上り詰めた“炎の行者”。一方で、歴代の総理大臣や大物政治家が相談に訪れプロのスポーツ選手や著名なジャーナリストとも交流、日本と北朝鮮の橋渡し役を買って出たこともあり、その広い交友範囲から名づけられたのは“永田町の怪僧”。その正体とはーー。

「高野山真言宗“宿老”の大任の栄誉を授けられ、心よりお喜びを申し上げます。
 内閣総理大臣 菅義偉

「初心を忘れず長年にわたりご活躍され、地域や人々に骨身を惜しまずご貢献を続けてこられた池口大僧正の姿勢に対し、改めて敬意を表させていただきます。
 前内閣総理大臣 衆議院議員 安倍晋三

 次々と読み上げられる電報の送り主には、国会議員、スポーツ選手、ジャーナリストなどの著名人が並んだ。

 今年1月19日、雪景色が広がる高野山の奥に鎮座する真言宗の総本山金剛峯寺(こうごうぶじ)にて、『宿老 親授式』が行われた。

 宿老とは、高野山に現在3人しかいない最高位の役職で永久職。真言宗の宗祖である弘法大師・空海が開創した真言密教の聖地で行われた親授式。高野山管長や宗務総長をはじめとした要職らが一同にそろい、その上座には、宿老職を親授される恰幅のよい1人の僧正が座っていた。

 池口恵観(いけぐちえかん)(84)。

 前人未到の『100万枚護摩行(ごまぎょう)』の達成者は“炎の行者”と呼ばれる一方で、“永田町の怪僧”と囁(ささや)かれるほど人脈が広い。政財界、スポーツ界にとどまらず、過去には戦後最大級の経済事件で逮捕、起訴された人物が池口の弟子だったことも。

 いったい真言宗の住職が、なぜこのような人脈を持つようになったのか。

政治家にとって池口さんのような人が必要

 親授式に自身も電報を送り、40年以上にわたって親交を持つ田原総一朗(87)は、池口との出会いをこう語る。

「僕が池口さんと知り合ったのは、確か'76年のこと。最初の妻が乳がんを患い、当時は抗がん剤もなく、“死病”と言われていました。初期の症状は軽かったのですが、再発してリンパに転移して、入退院を繰り返す状態に。闘病は約9年間続きましたが、入退院を繰り返していた3年目ごろに知人から“病気を治す先生がいる”と紹介されたのが池口さんだったのです」

 田原によると、日本の仏教の宗派の中で唯一、真言密教だけが「病気を治すと言い切っている」ことから、病院での治療と並行して、妻とともに池口のもとを訪れ、“加持”治療を受け続けた。

「池口さんからは“病院を出てウチで治療してください”と言われていたのですが、病院の治療を中断するまでの踏ん切りはつきませんでした。結果的に最初の妻はがんで亡くなってしまいましたが、

 妻と同じ病院に入院していた末期の直腸がんを患っていた男性に池口さんを紹介したところ、彼は退院して池口さんのところで加持を受け続けた結果、奇跡的にがんがなくなったんです

 最初の妻を亡くした後、田原は再婚するが、皮肉にも2人目の妻も乳がんを患ってしまい、余命半年を告げられる。そこで、最初の妻と同じく、2人目の妻も入院治療を続けながら池口のもとを訪ね、加持を続けたところ、結果的に余命が6年延びた。

「転院したりもしていましたから、加持だけが理由かどうかはわかりません。ですが、池口さんは妻たちにネガティブな言葉ではなく常に“必ず治る”といった言葉をかけ続けてくれました。

 病気をすると、さまざまな宗教の人たちが寄ってきて“感謝が足りないからだ”などと説教をしてくることもあったのですが、池口さんは“大丈夫”と妻たちを励まし、ただただ拝んでくれたのです。妻たちも池口さんのおかげで生きることに前向きになったと思います

 2人の妻の闘病をきっかけに池口と知り合った田原は以降、40年以上にわたり親交を続ける。

 '17年には池口について記した『なぜ今、池口恵観なのか』(バジリコ)という書籍を出版。同書の帯には《「宗教と人間」という普遍的かつ優れて現在的なテーマにおいて、私が今最も関心を抱く人物である》との一文を記している。

 田原は池口のもとに政治家らが集まってくることについて、こう分析する。

「政治家は孤独。相談する相手は、誰でもいいというわけではない。その点、池口さんは私利私欲がないし、その言葉にハッタリも自慢もなく、とにかく謙虚。だから政治家にとっては、池口さんのような人が必要なのです