例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。

 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。

お住まいである東宮御所の台所で、ご家族に手料理を振る舞われた美智子さま('61年10月)
【写真】東京五輪、軽井沢……上皇ご夫妻の昭和貴重ショット

「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」

国民に近づきすぎてしまった“皇室”

 しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。

「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです

 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。

「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の'89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」

 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。

「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」

『結婚の儀』で秋篠宮さまの髪を直される紀子さまは“新しい皇室像”の象徴に('90年6月)

 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。

「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」

 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。