母は、そんな娘と息子を鼻にかけるようなことは決してなかったという。

「いつも穏やかで嫌みのない、でも芯のしっかりした人でしたよ。お母さん、図書館や小学校で“読み聞かせボランティア”をやっていたんですけど、本をただ朗読するんじゃないの。1冊丸々暗記して、それをお芝居のセリフのように子どもたちの前で披露するんです。ニックンが俳優になったのも、お母さんのそういうところが影響したのかもしれない」(同・住民)

最大の理解者だった母

樹木のそばに遺骨を納め、樹木を墓標とする樹木葬。近年選ぶ人も多くなりつつある。写真は市原悦子さんの樹木墓地
【写真】西島秀俊が家族との時間を!貴重なプライベートショット

 その母は、どんなときも西島の最大の理解者だった。

 私立の中高一貫の進学校から横浜国立大学に進学した西島だったが音楽に夢中に。ロックバンドを結成すると“本気で音楽で食っていきたい”と母に宣言し、1浪してまで入った大学をあっさり中退してしまった。そのときも、

「お母様、さすがに悩んでいましたけど、最後には彼の決心を応援してね。“秀俊には、自分の人生なんだから、やるならやりなさい。そのかわり家族には迷惑をかけないでって言ってやったわ”って。結局、音楽ではなくてお芝居の道だったけれど、西島さんはその言葉を胸に、一生懸命頑張って有名になった。お母様もきっと誇らしかったと思いますよ」(前出・知人)

 母が亡くなった後、住んでいた実家は引き払った。

「忙しいだろうに、ニックンが奥さんとお子さんを連れて何度も片づけに来ていました。通りがかった人が、家の前の道をほうきで掃いているニックンを見てびっくりしてました(笑)。最後の日、近所を1軒1軒回って“長い間、お世話になりました”って挨拶までね」(前出・住民)

 2時間59分に込められた大切な愛する人への思い─。それはきっと、多くの人々の心に届くに違いない。