父親から逃げたかった

 1973年2月、鈴香は畠山家の長女として生まれた。秋田県北部の二ツ井町で運送会社を経営する父と元飲食店従業員の容姿端麗な母と4歳下の弟の4人家族。

 幼いころから父親から暴力を受け、いつしか鈴香は父親に怯えて暮らすようになったという。

 学校でも大人に恵まれなかった。小1のとき担任から「水子の霊が憑いている」と言われたことがきっかけで同級生から《心霊写真》というあだ名をつけられた。高学年になっても給食を食べるのが遅い鈴香は残ったおかずを手のひらにのせられ、それを食べさせられた。その姿を見た同級生たちは彼女を《バイキン》と囃し立てた。

「バイキンを洗い流すために便所に押し込まれて洗剤をまかれたというエピソードもありました。高校の文集の寄せ書きには《いままでいじめられた分、強くなったべ。俺達に感謝しなさい》、《秋田から永久追放》など心ない言葉が続き、多感な少女時代にそんな扱いを受けていた彼女に同情しました

 と、雑誌記者が明かす。

 転機が訪れたのは高校卒業後。栃木県の鬼怒川温泉ホテルや川治温泉で仲居やコンパニオンとして働き始める。しかし父親に連れ戻され、帰りたくない実家に帰ることとなる。そのころ秋田で後に彩香ちゃんの父親となる男性と出会い、やがて2人は結婚する。21歳のときだった。2年後に彩香ちゃんが誕生し、その1年後に離婚。彩香ちゃんは鈴香が引き取ることに。

「もともと鈴香の父親に押し切られたような結婚でした。妊娠がわかったときも鈴香は自信がないと産むのをためらっていた。旦那さんは全然彩香ちゃんに興味を示さないし、鈴香は彩香ちゃんをかわいそうに思ったんじゃないかな。自分で引き取ったのはそういうことだと思えてなりません」

 と友人のK子さんが鈴香の心情を推測する。そして藤里町の団地に移り住んで数年後、鈴香は日本中から注目を浴びることとなった──。

当時の『週刊女性』“母親失格”の文字が躍る
【写真】集まるマスコミに「鬼の形相」を見せた畠山鈴香受刑者

相反する供述

「30歳も過ぎているのにことさら同情を買うようなことをしていますが(不遇な過去が)流星と何の関係があるのか。一審判決はその点を酌量の理由にしましたが、私にはまったく理解できません」

 控訴審裁判で被害者側の米山さんにこう言わしめた第一審では何が明かされたのか。

「弁護側は鈴香が父から虐待されていたこと、学校ではいじめにあっていて逃げ場がない状態から解離性障害があったと主張。彩香ちゃん殺害についても健忘状態にあり責任能力がないと主張した。

 一方で検察は“女でいたいシングルマザーは娘が邪魔になって殺した”と印象づけようとした。証人として出廷した元彼に鈴香の性行為中の喘ぎ声の大きさまで聞いたのです」(司法記者)

 死刑が求刑されるも一審判決は無期懲役。続く控訴審判決でも無期が確定し、'09年4月高検の上告断念によって終結した。事件から丸3年たった時点で見えてきたものはなんだったのか。それはやはりチグハグな鈴香の姿だった。

 第一審判決のとき、鈴香は被害者遺族に土下座し謝罪するというひと幕があった。しかし、そのころ担当医にあてて書かれていたメモには、

《米山さんがなんで怒っているのかわからない。まだ2人も残っているじゃない(被害者は次男で他に長男と三男がいる)恵まれているのに》

 その内容は世間に“嘘つき鈴香”の印象をより強めた。